*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.41
◆「正常か、異常か」は「苦しくないか、苦しいか」とはまったく別のもの
でも、ひょっとすると、こう勘違いしてしまうひともいるかもしれません。
「苦しくないか、苦しいか」を争点にすることと、「正常か、異常か」を争点にすることとは、実は同義なのではないか、って。
けど、同義ではないのは明らかではありませんか。病院で「苦しさ」を訴えても、「異常」ではないと診断され、とり合ってもらえないことは、よくありますね? 「苦しさ」と「異常」は明らかに同義ではありませんね?
とはいえ、もう少し突っ込んでこのことを見てから、今回はお開きとすることにしましょうか。
そもそも、この世に異常なひとなどただのひとりも存在し得ないということを以前、論理的に確認しましたよね。ひとはみな正常だということでしたね。
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下の記事で、そのことを確認しました。
(注)そのことを、もっと簡単に確認する回はこちら。
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にもかかわらず、(精神)医学は一部のひとたちを不当にも異常と決めつけ、差別してきました。では、そのように差別されてきたのは誰だったのか。
(精神)医学は世間の人々同様、人間をつぎの3つに分けます。
- A.標準的なひとたち(俗に言う、普通のひとたち)
- B.標準的なひとたち(A)より優れているひとたち(俗に言う、良い意味で普通じゃないひとたち)
- C.標準的なひとたち(A)より劣っているひとたち(俗に言う、悪い意味で普通じゃないひとたち)
(精神)医学が不当にも異常と決めつけ、差別してきたのは、グループCの「標準的なひとたち(A)より劣っている」と医学には見えるひとたち、でした。(精神)医学は、グループAとB、すなわち「標準以上」と医学には見えるひとたち、を正常と判定してきた、ということでしたね。
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そのあたりのことは以下の記事に書きました。
(注)そのことを少し別の仕方で確認する回はこちら(こちらのほうが簡単かも)。
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これで答えが出ましたよ。
「正常か、異常か」を争点にするというのは、突きつめると、「標準以上か、標準的なひとたちより劣っているか」を争点にするということであるといま、わかりました。それは明らかに、「苦しくないか、苦しいか」を争点にすることとは異なりますね? 前者は単に、能力の優劣の話にすぎませんね?
今回は、みなさんが病院の診察室や病室でする「訴え」や「要望」が、(精神)医学には届いていないことを確認しました。みなさんは苦しさを「訴え」、苦しまないで居てられるようになることを「要望」するが、みなさんのそうした「苦しくないか、苦しいか」を争点にする声を聞きながらも(精神)医学は、それとはまったく別のこと、すなわち「正常か、異常か」を争点にする、ということでしたね。
2021年8月12日に文章を一部訂正しました。
次回は6月21日(月)21:00頃にお目にかかる予定です(もし机のまえに座ることができるようになっていたらの話ですが...
→最近、ようやく机のまえに座ることができるようになりました。が、少々時間が必要です。6/28もしくは7/5にお目にかかることができるのではないかと見積もっております)。
→私事により、当分、記事が準備できそうにありません(8月12日に記す)。
*今回の最初の記事(1/7)はこちら。
*前回の短編(短編NO.40)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。