*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.61
◆③医学とは「多様性の否定」である
さあ、ここまで、どうですか? ひょっとすると、ダラダラと話しすぎて、論点がぼやけてしまっているかもしれませんね? この文章の主題はこういうものでした。先に進むまえに、頭からざっとふり返ってみますね。
医学は「みんな違ってみんなイイ」といった、多様性を肯定する言葉を口にするが、しているのは実はその正反対ということはないか、という根性のヒン曲がった俺の疑惑を検証するのがこの文章の主題でした。そのためにまずここまで、医学がおのれの使命とするところを見てきました。それを箇条書きで簡単にまとめるとこうなります。
- みなさんが医学にその使命とするよう求めているのは、ひとが「苦しまないで居てられるようになる」のを手助けすることである。
- しかし医学はおのれの使命を「異常なひとを無くす」こととしてきた。
- が、この世に異常なひとなどただのひとりたりとも存在し得ない。
- そこで医学は、一部のひとたちを、ほんとうは正常であるにもかかわらず、不当にも異常であると決めつけて差別し、「無くす」ことにしてきた。
- では、そのように差別されてきたのは誰だったかというとそれは、「標準を下回っているひとたち」だった。
そして以上を圧縮すると、こうなります。
医学がおのれの使命としてきたのは、「異常なひとを無くす」ことである。すなわち、「標準を下回っているひとたち」を、異常だからという間違った理由で、標準以上になるか、もしくは存在しなくなるか、しなくてはならない者であるということにし、そのひとたちを、そのとおり、標準以上、あるいは居なくなるようにすることである、って。
けど、それはいったい何を意味しているでしょう?
それは、「標準を下回っているひとたち」に、標準以上になることを、医学が強制している、ということを意味するのではありませんか。
つまり、多様性を否定している、ということを意味するのではありませんか。
しかも、その強制は不当(誤り)なんだ、って。
だって、そうした標準以上になることへの強制を正しいと医学が信じ切きれているのはひとえに、この世に異常なひとが存在すると盲信できていればこそですね?
すなわち、「標準を下回っているひとたち」のことを、異常な人間であると盲信できていればこそ、そのひとたちについて、標準以上(医学が考える正常領域)に、絶対にならなければいけないと頭ごなしに決めつけられるわけですね。
だけど、異常な人間などこの世にただのひとりたりとも存在し得ないということでした。
「標準を下回っているひとたち」は、異常ではありません。そのひとたちに、標準以上になることを強制するための根拠である、「異常である」という理由は完全に誤っています。よって、その強制(多様性の否定)には根拠が足りない、ということになりますね。
*今回の最初の記事(1/7)はこちら。
*前回の短編(短編NO.60)はこちら。
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