*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.41
◆先ほどの女性の「訴え」と「要望」を医学はどう解したか
ここで、先ほどの女性に再度目を向け、いま言ったことを確認してみます。その女性が精神科の診察室で、苦しさを「訴え」、苦しまないで居てられるようになることを「要望」しているのを先に確認しました。そうしたことを「訴え」、「要望」するというのは、苦しくないか苦しいか、を争点にするということである、とのことでしたよね。でも、その女性のそうした「訴え」と「要望」を耳にしながらも、(精神)医学がそこで争点にするのは、それとはまったく別のこと、すなわち、正常か異常か、です。
ほら、先の引用文のつづきを見てみますよ。
しかし考えてみれば、整形手術をしたいのであれば、精神科ではなく美容整形外科を訪れるはずである。ところが彼女は、精神科を自ら選んでやってきたのである。つまり彼女は、口に出しては言わないものの、自分に何らかの精神的なトラブルが起きていることを、それとなく自覚していたということになる。患者は病気という自覚、つまり病識はもちにくいが、病気かもしれない、何か変だという感覚(「病感」と呼ぶ)を抱いていることが多いのである(岡田尊司『統合失調症』2010年、p.218)。
この女性の、苦しさを「訴え」、苦しまないで居てられるようになることを「要望」する声を、(精神)医学はいま無理矢理、精神の異常を「訴え」、その異常を無くすことを「要望」するものと解釈しようとしていましたね? この女性が、苦しくないか苦しいか、ではなく、正常か異常か、を争点にしているということにしようとしていましたね?
みなさんの、苦しさを「訴え」、苦しまないで居てられるようになることを「要望」する声が実は(精神)医学には届いていないということが、いま実例をもって確認できましたね。
2021年8月12日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/7)はこちら。
*前回の短編(短編NO.40)はこちら。
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