(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

みなさんが診察室や病室でする「訴え」と「要望」は(精神)医学には届かない(6/7)【統合失調症理解#19】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.41


◆先ほどの女性の「訴え」と「要望」を医学はどう解したか

 ここで、先ほどの女性に再度目を向け、いま言ったことを確認してみます。その女性が精神科の診察室で、苦しさを「訴え」、苦しまないで居てられるようになることを「要望」しているのを先に確認しました。そうしたことを「訴え」、「要望」するというのは、苦しくないか苦しいか、を争点にするということである、とのことでしたよね。でも、その女性のそうした「訴え」と「要望」を耳にしながらも、(精神)医学がそこで争点にするのは、それとはまったく別のこと、すなわち、正常か異常か、です。


 ほら、先の引用文のつづきを見てみますよ。

しかし考えてみれば、整形手術をしたいのであれば、精神科ではなく美容整形外科を訪れるはずである。ところが彼女は、精神科を自ら選んでやってきたのである。つまり彼女は、口に出しては言わないものの、自分に何らかの精神的なトラブルが起きていることを、それとなく自覚していたということになる。患者は病気という自覚、つまり病識はもちにくいが、病気かもしれない、何か変だという感覚(「病感」と呼ぶ)を抱いていることが多いのである(岡田尊司統合失調症』2010年、p.218)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

  • 作者:岡田 尊司
  • 発売日: 2010/10/15
  • メディア: 新書
 


 この女性の、苦しさを「訴え」、苦しまないで居てられるようになることを「要望」する声を、(精神)医学はいま無理矢理、精神の異常を訴え」、その異常を無くすことを要望するものと解釈しようとしていましたね? この女性が、苦しくないか苦しいか、ではなく、正常か異常か、を争点にしているということにしようとしていましたね?


 みなさんの苦しさを訴え」、苦しまないで居てられるようになることを要望する声が実は(精神)医学には届いていないということが、いま実例をもって確認できましたね。





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2021年8月12日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/7)はこちら。


*前回の短編(短編NO.40)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。