(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

みなさんが診察室や病室でする「訴え」と「要望」は(精神)医学には届かない(4/7)【統合失調症理解#19】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.41


◆健康、病気という言葉の意味からも考える

 でもそのことを、いちおう、別の角度からも簡単に確認してみますよ。


 病院とは病気を診てもらいに行くところです。ではみなさんにとって、健康や病気とはそもそもいったい何を意味しますか。


 健康とは「健やかに康らかに」と書きますね。ふだんのみなさんにとって、健康という言葉は、「苦しんでいない」ということを表現するものではありませんか。


 かたや病気とは「気を病む」と書きますね。「気を病む」とは苦しむということですね? ふだんのみなさんにとって、病気という言葉は、「苦しんでいる」ということを、その苦しみが手に負えないようなときに表現するものではありませんか。


 そのようにみなさんがふだん、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にするのは、苦しくないか苦しいか(快いか、苦しいか)、ではありませんか。みなさんが病院の診察室や病室で争点にするのも、当然、そのことではありませんか。みなさんがそこで医師相手に「訴えるのも苦しさであり、また、そのときに「要望するのも苦しまないで居てられるようになること、ではありませんか。





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2021年8月12日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/7)はこちら。


*前回の短編(短編NO.40)はこちら。


*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。