*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.8
この世に異常なひとなど、ただのひとりも存在し得ないということを、以前、論理的に証明しましたよね。
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ちなみにこの記事で、です。
(注)もっと簡単に確認する回はこちら。
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そしてそれは、この世に「理解不可能」なひとなど、ただのひとりも存在し得ないということを意味するとのことでしたね。
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そのことを確認したときの記事はコレです。
(注)もっと簡単に確認する回はこちら。
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だけど、医学は一部のひとたちのことを異常と判定し、「理解不可能」と決めつけてきました。
たとえば、あるひとたちのことを統合失調症と診断し、つぎのように、やれ「永久に解くことのできぬ謎」だ、「了解不能」だと言ってきました。
かつてクルト・コレは、精神分裂病〔引用者注:当時、統合失調症はそう呼ばれていました〕を「デルフォイの神託」にたとえた。私にとっても、分裂病は人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ謎であるような気がする。(略)私たちが生を生として肯定する立場を捨てることができない以上、私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか(木村敏『異常の構造』講談社現代新書、1973年、p.182、ゴシック化は引用者による)
専門家であっても、彼らの体験を共有することは、しばしば困難である。ただ「了解不能」で済ませてしまうこともある。いや、「了解不能」であることが、この病気の特質だとされてきたのである。何という悲劇だろう(岡田尊司『統合失調症』PHP新書、2010年、p.30、ただしゴシック化は引用者による)。
今回は、統合失調症と診断され、このように「理解不可能」と決めつけられてきたひとたちのなかから実際にひとり登場してもらい、そのひとがほんとうは「理解可能」であることを、実地に確認してみることにしますよ。
年頭のご挨拶が大変遅くなりました。明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします!
2020年2月20日と2021年8月3日に文章を一部加筆修正しました。
*前回の短編(短編NO.7)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。