(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

漢字、絵、あんパンをもちいて「科学」の原点を探る(3/4)

*「科学」を定義する第2回

2/4からのつづき

◆ふたつ目の例:絵

 みなさん、今度は、壁にかかった一枚の絵を想像してみてくれますか。見わたすかぎりの青い空、その下には一面にひろがる青い海、そしてその大海原に浮かぶ真っ白な一隻のヨット。みなさんはいま、一面の青のなかにポツリと白い点が浮かぶその絵を、真ん前に立って見ているとします。


 そのヨットの「白」と、空と海の「青」のふたつについて今度は考えてみましょうよ。


 当たりまえのことをここでもちょっと変わったふうに表現することになりますが、いまみなさんが見ていることになっているその「白」と「青」のふたつは、ひとつの絵に共に参加していると言えますよね。


 では、さっそく先ほど見たふたつの操作をこの絵にもやってみましょうか。まず、その「白」と「青」のふたつが、カンバス上の現に塗られた場所にそれぞれ位置を占めているのを認めてみましょうか。これがひとつ目の操作ですね。ついで、ふたつ目の操作を矢継ぎ早にしてみましょうか。それら「白」と「青」のふたつを、「ひとつの絵に共に参加している」ことの無いもの同士であると考えてみましょうか。

  1. 「白」と「青」が、カンバス上の現に塗られた場所にそれぞれ位置を占めているのを認める(位置の承認)。
  2. それら「白」と「青」のふたつを、「ひとつの絵に共に参加している」ことの無いもの同士と考える(部分であることの否認)。


 するとどうなるとみなさん思います? 目のまえには、「白」と「青」のふたつがただバラバラに在るだけであって、一面の青のなかにポツリと白い点が浮かんでいるという絵は存在していないということになりませんか。


 そして、「ひとつの絵に共に参加している」ことの無いもの同士であると考えられることになったその「白」と「青」のふたつをどう足し合わせてみても、一面の青のなかにポツリと白い点が浮かんでいるという絵は出てこないということになりませんか。


 つまり、さっきの犬という漢字の場合とおなじことになりませんか。


 いや、なりますよね。


 いま、例のふたつの操作を絵にしてもらいましたよ。「白」と「青」が、カンバス上の現に塗られた場所にそれぞれ位置を占めているのは認める(ひとつ目の操作)。しかし、それら「白」と「青」のふたつを、「ひとつの絵に共に参加している」ことの無いもの同士と考える(ふたつ目の操作)。果してこれは何をしたことになるのでしょうね。この場合もまた、「白」と「青」のふたつを絵の部分であると認めることを拒否したことになるのではないでしょうか。そのように「部分」であると認めることを拒否することによって、青一面のなかに白い点がポツリと浮かんでいるという絵(全体の存在を認められなくなったということなのではないでしょうか。


 犬という漢字と、ヨットの絵のふたつにいま、おなじ操作をしてもらいましたね。すると、どちらの場合でもおなじことが起きました。犬という漢字のほうでは、その各部分(「大」と「右上の点」)がそれぞれ存在しているのは認められるものの、犬という漢字(全体)は忽然として存在していないことになりましたね。いっぽう絵のほうでは、各部分(「白」と「青」)がそれぞれ存在しているのは認められるものの、「全体」の絵は存在していないことになりましたね。ここまで見てきたこうした操作を以後、「絵が存在していないことになる」というその帰結から(漢字も絵と見ることができますね)、絵の存在否定、と呼ぶことにでもしておきましょうか。


 さて、最初に、あんパンをもちいて科学をこう定義づけましたよね。みなさんが現に見ているあんパンの姿を、みなさんの心のなかにある映像にすぎないことにするものこそが科学である、って。で、そのとき、こう言いましたね? 科学には、みなさんが現に見ているあんパンの姿をみなさんの心のなかにある映像にすぎないことにしなくてはならない事情があるのだ、って。


 その事情とは、この「絵の存在否定」のことを指しますよ。


 どういうことか、いまから詳しく見ていきますね。


今回は記事を(1/4)、(2/4)、(3/4)、(4/4)の4つに分けてお送りしています。

  • ひとつまえの記事(2/4)はこちら。


前回(第1回)の記事はこちら。


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