*身体をキカイ扱いする者の正体は第1回*1
最初にchapter1*2で、つぎのふたつを確認しました。
- 身体は機械ではないこと。
- そのことをみなさん実によくご存じであること。
そしてchapter2*3では、にもかかわらず科学が身体を機械と考えるのはなぜか確認しました。科学は事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作を為し、その結果、身体を機械と考えるに至るというわけでした。
実際のところ身体とは、「身体の感覚部分」と「身体の物的部分」とが同じ場所を占めてひとつになっているもののことです。しかし科学にとってそれら「身体の感覚部分」と「身体の物的部分」は、心のなかにある像にすぎませんでした。心の外に実在する、見ることも触れることもできない「ほんとうの身体の物的部分」(分子の寄せ集め)についての情報にすぎませんでした。科学が思うに、身体とは心の外に実在する、この見ることも触れることもできない「ほんとうの身体の物的部分」のことでした。
科学は「ほんとうの身体の物的部分」のことをよく身体機械と呼んでいます。以後、「ほんとうの身体の物的部分」についてはこの「身体機械」という呼びかたで表現していくことにします。
- 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2006/05/01
- メディア: 単行本
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先に進みましょう。
掃除機や時計といった機械については、正常に作動しているとか、故障している(動作が異常である)といったように正常異常の区分けがなされます。身体を機械と考える科学は、「身体の物的部分」にも正常異常というこの区分けをあたりまえのように用います。そして正常については健常とか健康と、いっぽう異常については病気とそれぞれ呼び、治療を、異常状態から正常状態になることを目的とするものとします(ちなみに科学は心なるものについてもこの区分けを精神医学の分野で用います)。
医学は正常異常というこうした区分けを礎にして成り立っていると言っても過言ではないのではないでしょうか。
けれども確認してきましたように、「身体の物的部分」は機械ではありません。したがいましてとうぜん、みなさんと俺の胸にはいま、つぎのような鋭い疑念が浮かんでいます。
機械に用いられる正常異常という区分けを、ほんとうは機械ではない「身体の物的部分」に用いることははたして可能なのか。
不可能なら、健康、病気、治療、それぞれを何と見るべきか、医学の基礎をあらたに見なおさなくてはならなくなります。
機械に用いられる正常異常という区分けを、ほんとうは機械ではない「身体の物的部分」に用いることは可能なのかというこの鋭い疑念について考察するところから、このchapter3*4をはじめます。
ひとに対して正常異常の区別がつけられるかということについて、後日、下の記事にて平たい言葉で書き直しました。
このシリーズ(全22回)の記事一覧はこちら。
*1:2018年7月22日付記。当初のタイトルは「科学の身体研究からすっぽりぬけ落ちている大事なものchapter3」でした。
*2:2018年7月22日付記。「身体が機械じゃないのは明らかであるが」のことです。以前のタイトルは「科学の身体研究からすっぽりぬけ落ちている大事なものchapter1」でした。
*3:2018年7月22日付記。「科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか」のことです。以前のタイトルは「科学の身体研究からすっぽりぬけ落ちている大事なものchapter2」でした。
*4:2018年7月22日付記。この文章のタイトルは当初「科学の身体研究からすっぽりぬけ落ちている大事なものchapter3」でした。