(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

事件のオイニイがする

*身体すり替え事件第1回


「俺ってこんな存在だったっけ。俺の知っている人間はこんなだっけかなぁ」


 科学(病理学や精神病理学を含む)が生き物を説明するのを聞いていると、とても不思議な気持ちになります。一流科学者の本や、国営放送の科学番組ではしばしば、みなさんの身体は、絶対的な権限をもった遺伝子会長とその子飼いの脳代表取締役によってコントロールされるトップダウン式の組織(上層部の指揮命令に下部層が忠実な組織)として説明されます。見たり考えたり喋ったり運動したり愛したり暴力をふるったりするのを司るのはすべて脳であって、みなさんの喜びも怒りも悲しみも脳の神経細胞の活動にすぎないとズバリおっしゃる世界的な科学者もいらっしゃれば、遺伝子が、未来永劫存続するという目的をかなえるために、身体というモビルスーツをつくりあげ、脳を介して操縦しているのだとアツく説く有名エリート科学者もおいでです。

科学の終焉(おわり) (Naturaーeye science)

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続・科学の終焉(おわり)―未知なる心 (Naturaーeye science)

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利己的な遺伝子 <増補新装版>

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 が、そうした説明を拝聴するとガゼン俺は、事件の匂いを嗅ぎつけたinspector Columbo(コロンボ警部)のような気分になります。コロシだな、こりゃ、カミさんとチリ食べに行くのは後回しだ。被害者の身元しらべなきゃ。ところで、ねえ、どっかにコーヒーない? 朝、食い損ねちゃってさあ。


 しかし、寡聞でしかも超愚かな俺の嗅覚など信用できるでしょうか。その嗅覚まで愚かさに染まりきっているんじゃないでしょうか。


 コソっと小さな声で申しますとじつは俺には、自分の嗅覚を根底からトコトン疑いながら現場の周りをうろついていた長い時期があります。浦沢直樹さんのマンガに登場するかのような人相のメルロ=ポンティ警部や、いわくつきの探偵ハイデガーが現場に先回りしていたのを知ったのはその頃です。自分を疑っていた俺は彼らの動向を俺なりに洗いました。で、どうやら俺の嗅覚もまんざらじゃないなと確認できたという次第です。片方の鼻の穴はいつでも代わりバンコで詰まっていますけれどもね。

知覚の現象学 〈改装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

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行動の構造

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存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)

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存在と時間〈下〉 (ちくま学芸文庫)

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 以来、ポテチをつまんだり湯船につかったり寝っコロがったりしながら真相を追い続けてきた結果、いま刑事ウワバミ(たわむれに俺のことをこう呼んでみました。冗談です)はこうニラんでいます。お聞きください。

つづく


2019年9月3日に文章を一部修正しました。


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