*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.49
◆ひとつ目の作業、「絵の存在否定」
まずは「絵の存在否定」から。
そうですね、まず何か、漢字をひとつ思い浮かべてもらいましょうか。どんなものでも構いませんよ。犬という字でも思い浮かべてもらうことにしましょうか?
この犬という漢字の、「大」と「右上の点」の二部分について考えてみますね。
互いに数ミリ離れたところにある、この「大」と「右上の点」のふたつは、おかしな表現になるかもしれませんけど、犬というひとつの漢字に共に参加していると言えますね。
いや、何も難しいことは言っていませんよ。表現の奇妙さに惑わされないでくださいね。目のまえに犬という漢字が見えるとき、そこには「大」と「右上の点」とがある、という当然のことを、そう表現したにすぎませんよ。
いま、「大」と「右上の点」とが、「ひとつの漢字に共に参加している」ことを確認しました。では、ここで、つぎのふたつの操作からなる作業をしてみてくれませんか?
- ①「大」と「右上の点」とが、現に在る場所にそれぞれ位置を占めているのは認める(位置の承認)。
- ②それらふたつを、「ひとつの漢字に共に参加している」ことのないもの同士と考える(部分であることの否定)。
すると、どうなります?
目のまえの互いに数ミリ離れたところにそれぞれ「大」と「右上の点」とがあるのは認められるが、「犬」という漢字は見えない、ということになりませんか?
いま、犬という漢字に、ある作業をしてもらいました。すると、犬という漢字の各部分は見えるのに、その全体であるところの犬という漢字は見えないということになりましたね?
漢字は絵のようだとよく言われます。では、いま「犬」という漢字をひとつの絵に見立ててみますよ。すると、こう言えますね。この作業は、「犬」という絵の各部分の存在は認めつつも、その絵全体の存在は否定するものである、って。
そこから、以後この、ふたつの操作(位置の承認+部分であることの否定)から成る作業を、「絵の存在否定」と呼ぶことにさせてもらいますね。
*今回の最初の記事(1/7)はこちら。
*前回の短編(短編NO.48)はこちら。
*これのpart.1はこちら(今回はpart.3)。
*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。