(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

副作用を我慢してでも治療を受けるべきとみなさんが判断するのはどんな時か(5/5)【医学は副作用を侮ってきた? part.2】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.43


◆みなさんは苦しさを比較したあと、生存期間の延長・短縮を考え合わせる

 ここまで、治療を受け、「かえって苦しさが酷くなる」場合Aと、「苦しさがマシになる」場合Bのふたつを、それぞれ点検してきました。みなさんはつぎのような見方をするということでしたね。


①苦しさを比較する

→治療を受け、苦しさが「かえって酷くなる」か、それとも「マシになる」か、比較検討する。


②生存期間の延長・短縮を考え合わせる

→苦しさが「かえって酷くなる」と思われる場合は、その損を埋め合わせるくらい、その治療によって「生存期間」が伸びるか、考え合わせる。反対に苦しさが「マシになる」と思われる場合は、その得を打ち消してしまうくらいその治療によって「生存期間」が短縮するか、考え合わせる。


 以上、下準備が終わりました。この副作用の見方をいまから統合失調症と診断されたひとたちに一時期よく使われていた治療薬に当てはめていきます。それら薬の副作用は、医学が言うように、ほんとうに多くの場合「たいしたことがない」のか、それとも実はしばしば「たいしたことがある」のか、その白黒をもっとハッキリさせることは、はたして、できるでしょうか。






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実例をひとつ挙げ、今回確認した見方を用いて考察しました。下の記事です。


*前回の短編(短編NO.42)はこちら。


*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。