*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.4
◆「発達障害」という言葉を例に確認する
さあ、いま見ましたこの流れ(先の1から4)をここでひとつ、例をもちいて確認してみることにしましょうか。
この世に異常なひとはただのひとりも存在し得ないにもかかわらず、たとえば、誰かについて、「発達に異常がある」と言うとしますね(1.異常という言葉は差別用語である)。
それは、そのひとの発達を、「作り手の定めたとおりになっていない」と見、発達が「作り手の定めたとおりになっていない」そのことを問題視することですよね(2.異常の意味)?
では、発達が「作り手の定めたとおりになっていない」そのことを問題視して、身体のなかの一点のせいにするとどうなります(3.身体のなかの一点のせいにする)? その一点は、発達が「作り手の定めたとおりになる」のを妨げていることになりますね? したがって、そのひとは反対に、発達が「作り手の定めたとおりになるのを・その一点によって妨げられている」ことになりますね?
で、発達が「作り手の定めたとおりになるのを・身体のなかの一点によって妨げられている」というのは、「何々がAになるのを・障害物によって妨げられている」という文型に当てはまることから、発達障害と表現できる、ということになりますね(4.世間の用法)?
発達障害という言葉が、「発達に異常がある」という差別表現の単なる言い換えにすぎないことがいま、確認できましたね。
せっかくですし、最後にもうひとつだけ例を挙げて確認しておくことにしましょうか。
2020年3月21日に文章を一部修正しました。
今回の最初の記事(1/5)はこちら。
「障害(障がい、障碍を含む)という言葉は差別用語である」というこのことを後日、今回のとは別の仕方(イメージに着目する仕方)で考察し直してみるつもりにしています。
前回の短編(短編NO.3)はこちら。
このシリーズ(全26短編を予定)の記事一覧はこちら。