(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

状況を捉えるとは状況把握をすることであると確認する(3/3)

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第4回


 大木に歩みよっているいまの場面をもちいて、まずこういうことを確認したじゃないですか。

  1. 大木が、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えていること。
  2. 俺の身体も、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えていること。
  3. その他、太陽や雲や風や音や他人の身体といった存在もそれぞれ、そうした問いに逐一答えていること。
  4. 俺の過去体験記憶像や未来体験予想像もそれぞれ、そうした問いに逐一答えていること。


 それら確認したことを、ひと言にひっくるめて簡単に言うと、こうなりません?


 大木、俺の身体、太陽、雲、風、音、他人の身体、俺の過去体験記憶像、未来体験予想像らが、応答し合いながら共に在る、って(以下、表現①とよびますね)?


 いやそれとも、こう言い換えたほうがピンときますかね? それらが、共に在るにあたって応答し合っている、って?


 どちらでも意味はまったく一緒のような気がしますけど、前者の表現のほうをいまからもちいていきますね。


 大木であれ、俺の身体であれ、音であれ、俺の過去体験記憶像であれ、何であれ、それを捉えるというのは、状況を捉えるということなんだ(状況・最小単位説)って確認したじゃないですか。その状況を捉えるっていうのは、

  • :「現在までの状況の推移」を把握すると同時に、そこから、
  • :「現在以後の状況の推移」を類推すること、


 すなわち、「状況把握すること」、でしたね。前者A現在までの状況の推移を把握する」は、さっきの「表現①」を使うと、こうなりません?


 大木や、俺の身体、太陽、雲、風、音、他人の身体、俺の過去体験記憶像、俺の未来体験予想像らが、現在までどのように「応答し合いながら共に在った」か把握する、


 に?


 いっぽう後者B「現在以後の状況の推移を類推する」は、


 それらが、現在以後どのように「応答し合いながら共に在る」かを類推する、


 に?


 したがって「状況把握」(A+B)はこう言い換えられるんじゃないですかね。

  • A':大木や、俺の身体、太陽、雲、風、音、他人の身体、俺の過去体験記憶像、俺の未来体験予想像らが、現在までどのように「応答し合いながら共に在った」かを把握すると同時に、そこから、
  • B':それらが、現在以後どのように「応答し合いながら共に在る」かを類推すること、


 であるって。


 こうして見てみると、「状況把握をする」ことによってはじめて、存在ひとつひとつの動向が見えてくるってことがはっきりわかるんじゃないですか、ね? ちがいますかね?


 さて、「状況把握」について、ちょっと突っ込んで確認してみました。やっぱり、話、ややこしかったですか? もし頭がごっちゃになってしまっていたら、いまの話、キレイさっぱり忘れてくださいね。


 もとの道に戻りましょう。こういうことでしたね。大木であれ、俺の身体であれ、音であれ、味であれ、他人の脳であれ、みなさんの苦しみであれ、俺の過去体験記憶像や未来体験予想像であれ、何であれそれを捉えるというのは状況を捉えるということなんだ。(状況・最小単位説)。その、「状況を捉えるというのは、ふだんみなさんが四六時中しているあの「状況把握をすることなんだ、ってことでしたよね。そのことがひとについても言えるってことを、統合失調症と診断された男性の例をもちいて、つぎに確認しようとしているところでした、ね?


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