(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

なぜ「ものを捉える=状況を捉える」なのか(3/3)

*医学の言うことはみんな嘘第4回


 いま、「ものを捉える」とは「状況を捉える」ということであるとなぜ言えるのか、あんパンを例に確認しましたね。あんパンに言えたこうした一連のことはほかのどんなものにだって言えますよ、ね?


 たとえば俺の身体を考えてみてくださいよ。俺の身体も、あんパンとおなじで、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、逐一答えるものじゃないですか。


 あんパンに近寄っていく場面を先ほどみなさんに想像してもらいましたよね? まさに、あんパンに近寄っていくというのは、俺の身体にとって、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、一瞬、一瞬答えていくことに他ならないじゃないですか、ね?


 ほら、俺の身体を捉えるということについても、「状況を捉える」ということであると言えますよ、ね?


 おなじく、みなさん(の身体)だって、みなさんの脳や心臓だって、電灯の光だって、その他の物や、音、匂い、味だって、また俺の過去体験記憶像(俺が記憶している過去体験のこと、でしたね)や、未来体験予想像(俺が予想している未来体験のこと、でしたよね)だって、さらにはみなさんの過去体験記憶像や未来体験予想像だって、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、逐一答えるものじゃないですか。


 なら、あんパンや俺の身体に言えるように、それらひとつひとつについても、それを捉えるというのは「状況を捉える」ということだって言えるじゃないですか、ね?


 さて、「ものを捉えるとは状況を捉えるということであるとなぜ言えるのか、ここまで確認してきました。


 その「状況を捉えるにはつぎの3つがあるとのことでしたね?

  • ①状況がどんなか知る。
  • ②状況が過去そのときにどんなだったか把握する。
  • ③状況が将来のそのときにどんなか予想する。


 この3つをみなさんはいつどんなふうにします? あるときは①をし、また別のときには②、もしくは③をするといった感じですか? それとも、同時に①②③をします?


 ちょっとその辺り、話がまだ漠然としていますね? 最後にそこのところをもっと詰めておいたほうが良さそうな気がしません?


 みなさんとお別れするのをひとつ先に延ばしましょうか、ね?


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今回の最初の記事(1/3)はこちら。


ものを捉えるとは状況を捉えるということであるというこのことを以前、下の記事でより詳しく確認しました


前回(第3回)の記事はこちら。


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