*科学の目には「快いか苦しいか」は映らない第2回
西洋学問ではこの要領で、俺が現に目の当たりにしているバラの花の他、俺が現に聞いている音や、現に嗅いでいる匂い、現に味わっている味、現に感じている「身体の感覚」、その他、俺が体験しているもの一切を、俺の心のなかにある像であることにし、俺の心のそとに実在しているのは、見ることも触れることもできず、音もしなければ匂いも味もしない元素なるもののみということにします。
- Ⅰ.俺が体験しているもの一切を、俺の心のなかにある像であることにする。
- Ⅱ.この世に実在しているのは、見ることも触れることもできず、音もしなければ匂いも味もしない元素なるもののみということにする。
で、音というのは、俺が現に聞いているあの音のことではなく(それは俺の心のなかにある像にすぎないとする)、元素の運動(空気の振動)のことであるとし、俺が現に聞いているみなさんの歌声などの音を、俺の心のなかにある、「空気の振動の様子を知らせる情報」であることにします。
匂いについても、俺が嗅ぐあの匂いのことではなく(それは俺の心のなかにある像にすぎないとする)、匂い分子(元素の集合体)のことであるということにし、俺が現に嗅いでいるらっきょうの香りなどの匂いを、俺の心のなかにある、「匂い分子の様子を知らせる情報」であることにします。
また味についても、俺が現に味わっている辛いとか甘いといったあの味のことではなく(それは俺の心のなかにある像にすぎないとする)、味物質(元素の集合体)のことであるということにし、俺が現に味わっているライスカレーなどの味を、俺の心のなかにある、「味物質の様子を知らせる情報」であることにします。
- Ⅲ.俺が現に聞いている音、嗅いでいる匂い、味わっている味等を、俺の心のなかにある、「元素(心の外に実在)の様子を知らせる情報」であることにする。
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