(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

「正常か異常か」と「快いか苦しいか」はまったく別の区分

*科学するほど人間理解から遠ざかる第25回 

 快さを感じているというのは、「今どうしようとするか、かなりはっきりしている」ということであり、かたや苦しさを感じているというのは、「今どうしようとするか、あまりはっきりしていない」ということであるといったように快さや苦しさを理解すること*1は、事のはじめに「絵の存在否定」と「存在の客観化」というふたつの不適切な操作をなす西洋学問にはできないとのことでした。


 では快さや苦しさを西洋学問ではどういったものと誤解するのか。いろんな誤解の仕方があるのかもしれませんが、ここではそのうちからふたつだけを見ることにしいまそのひとつ目を見ているところです


 それは、自覚症状があるとか無いとか言うときにひとがとる、ひろく世間で採用された解し方であると先に申しました。


 身体とは、おなじ場所を占めている「身体の感覚部分」と「身体の物部分」とを合わせたもののことであって、身体のうちに「身体の感覚部分」は含まれますけれども、西洋学問では身体を元素の寄せ集めにすぎないもの(西洋学問では、見ることも触れることもできず、音もしなければ匂いも味もしないと解します)と考えて機械と見なし(この身体をここでは「身体機械」とよんでいます)、「身体の感覚部分、心のなかにある、「身体機械についての情報とします


 そして、快さの感じを、心のなかにある、「身体機械が正常であることを知らせる情報」、いっぽう苦しさの感じを、心のなかにある、「身体機械が異常であることを知らせる情報」とするというわけでした。


「身体機械」が正常であれば、「身体機械が正常であることを知らせる情報」が、「身体機械」各所から電気信号のかたちで発したあと、神経をつたって脳まで行き、そこで快さの感じに変換されて心のなかに認められるいっぽう、「身体機械」のどこかに異常があれば、「身体機械が異常であることを知らせる情報」が、当の箇所から電気信号のかたちで発したあと、神経をつたい脳まで行って、そこで苦しさの感じに変換されて心のなかに認められるとのことでした。


 ところがこのように解しますと快さや苦しさを一転無視するしか手はなくなります


 どういうことか。例をふたつもちいて考えていきます。


 紙でサクッと切った指が痛むとしましょう。この痛みを、すこし大げさになるかもしれませんが、苦しさとお考えください。みなさんにとって指というのは、言ってみれば、おなじ場所を占めている「指の感覚部分」と「指の物部分」とを合わせたもののことですけれども、西洋学問では、指を元素がただ寄せ集まったにすぎないものと考えます(この指を指機械とよぶことにします)。で、「指の感覚(部分)」を、心のなかにある、「指機械についての情報」と解します。さて、いま見ている快さ苦しさについての解釈でいけば、この指に感じる痛みは、心のなかにある、「指機械が異常であることを知らせる情報」であることになります。その情報は、指機械から発したあと、神経をつたって脳まで伝達され、そこでこうした痛み(苦しみ)に様式を変換されているということになります。


 しかしこうした痛みはものごとに集中していたりすると感じられなくなることしばしばです。集中が切れるとやおら、指がふたたび痛み出すといった具合です。


 いま見ている快さ苦しさについての解釈でいくと、この場合、何かに集中していて指に痛みを感じていないというのは、指機械に、切れているという異常がたしかにあるにもかかわらず、「指機械が異常であることを知らせる情報」が心のなかに認められなくなってしまっているという状態であることになります。


 したがって、現に苦しさ(この例では痛み)を感じていないことをもって、「身体機械に異常がないと断定することはにわかにはできないということになります。


 いっぽう、苦しみを感じているのに病院で検査しても、「身体機械」になんら異常が見つからないとされる場合も多々あります。ほんとうに苦しんでいるのに、不当にも仮病と言われ、つらい思いをしたことがあるひとはすくなくないのではないでしょうか。


 いま見ている快さ苦しさについての解釈でいけば、この場合、苦しみを感じているというのは、「身体機械に異常など実際は実在していないにもかかわらず、心のうちに、「身体機械が異常であることを知らせる情報」が認められてしまっているという状態であることになります。


 したがって、現に苦しさを感じていることをもって、「身体機械に異常があると断定することもまたにわかにはできないということになります。


 快さと苦しさの感じを、心のなかにある、「身体機械が正常であること、もしくは異常であることを知らせる情報」と解しますと、いまごらんいただいたように、快さを感じている(苦しさを感じていない)ことをもって、「身体機械」を正常と判定することもにわかにはできなくなるし、苦しさを感じていることをもって、「身体機械」を異常と判定することもまた、にわかにはできなくなります。結局、「身体機械」が正常であるか異常であるかを判定するのに快さや苦しさの感じは役に立たず、「身体機械そのものだけを見て判定すべきだということになります。結果、「身体機械」が正常であるか異常であるかの区分は、快いか苦しいかの区分とはまったく別のものとして仕上がるに至り、快いか苦しいかの区分は無視されたまま、うち捨てられることになります

つづく


何が正常とされ、何が異常とされるかについては、下の記事で書きました。「劣っているひとたちの、まさにひとより劣っている点」と医学に見えるものが、異常であることにされるのではないでしょうか。


前回(第24回)の記事はこちら。


このシリーズ(全32回)の記事一覧はこちら。

 

*1:このシリーズ第3回から第7回②までで確認しました。

第3回


第4回


第5回


第6回


第7回