(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

現代科学は快さや苦しさを行動にからめて定義する

*科学するほど人間理解から遠ざかる第26回 

 快さを感じているというのは、「今どうしようとするか、かなりはっきりしている」ということであり、かたや苦しさを感じているというのは、「今どうしようとするか、あまりはっきりしていない」ということであると理解することは、事のはじめに「絵の存在否定」と「存在の客観化」という不適切なふたつの操作をなす西洋学問にはできないとのことでした。


 では、快さや苦しさをどういったものと西洋学問では誤解するのか


 いろんな誤解の仕方があるのでしょうけれども、ここではそのうちから、ふたつだけをみなさんと一緒に見ることにしました。ちょうど先刻、自覚症状が有るとか無いとか言うときにひとが採用している解し方を最初に見終わったところです。


 その解し方では、快さの感じを、心のなかにある、「身体機械が正常であることを知らせる情報」、いっぽう苦しさの感じを、心のなかにある、「身体機械が異常であることを知らせる情報」とそれぞれするとのことでした。ところがそう解すると、快さを感じていることをもって「身体機械」を正常と判定することも、にわかにはできないし、苦しさを感じていることをもって「身体機械」を異常と判定することもまた、にわかにはできないということになって、身体機械が「正常であるか異常であるか」の区分と、「快いか苦しいか」の区分はまったく別のふたつであることになるとのことでした。そして、後者の区分は無視されるに至るとのことでした。


 そもそも、先にすこし触れておきましたように、ひとには異常ということは絶対にありません。そのことからも、快さや苦しさの感じを、「身体機械が正常であるか、もしくは異常であるかを知らせる情報」と定義づけるのは不適切であると断言できる旨、先に進むまえにそっと申し添えておきます。


 さて、西洋学問のうちに俺が見つけることのできた、快さ苦しさについての解釈の残りひとつのほうに話を移します。まえのほうでちらっと、アカデミックな解釈であるとご紹介しました。快さを快情動、苦しさを不快情動とそれぞれ解して定義づけるものです(科学は感情を情動とよびます)。ここでは、理化学研究所脳科学総合研究センターが『脳科学の教科書(こころ編)』(岩波ジュニア新書、2013年)で紹介している説を見ていきます。

脳科学の教科書 こころ編 (岩波ジュニア新書)

脳科学の教科書 こころ編 (岩波ジュニア新書)

 


 その説では、快さと苦しさが行動にからめて定義づけられます


 では、最初に行動について考えてみましょう。


 行動については確認済みです。みなさん覚えておいででしょうか(つぎの6つのパラグラフは読み飛ばしていただいてまったく問題ありません)。


 みなさんは生きておられるあいだどの瞬間でも、「今・どう・しようとするか」という問いに身をもってお答えになります。身をもって「今・しようとなさっている」ことが行動に当たるとのことでした。


 いやいや、もっと簡単にこう申し上げるとしましょう。


 みなさんは生きておられるあいだどの瞬間でも、「今を・どういった・出来事の最中とするか」という問いに身をもってお答えになります。行動とは身をもってを出来事の最中とすることであって、身をもって「今」をどういった出来事の最中としているかを言えば、どんな行動をとっているか表現していることになります、と*1


 俺が並木道を大木に向かって歩いている場面をふたたびご想像ください。


 その場面で、大木、俺の「身体の感覚部分」、俺の「身体の物部分」、太陽、雲、道、風、音、俺の「過去体験記憶」、俺の「未来体験予想」等が合わさって、「今」を逐一、大木に歩みゆくという出来事の最中としているのを先に確認しました。まさに「今」を、大木に歩みゆくという出来事の最中とするという行動は、大木、俺の「身体の感覚部分」、俺の「身体の物部分」、太陽、雲、道、風、音、俺の「過去体験記憶」、俺の「未来体験予想」らが合わさってなすものだということでした。


 行動は決して身体だけがなすものではなく、いまご想像いただいている大木に歩みゆくという行動なら、そこに、景色が移り変わっていくことすら含まれるというわけでした。


 しかし西洋学問では行動をそのようなものとは考えません。身体を「身体機械」とする西洋学問では行動を、「身体機械が位置取りを変えること、すなわち「身体機械に起こる物的出来事と考えます。大木に歩みよっているという行動なら、「身体機械」の、道路上に占める位置取りの変化のことと解します。


 で、その瞬間その瞬間、「身体機械がどのような状態にあるかを知らせる情報」が、「身体機械」各所から発し、電気信号のかたちで神経をへて脳に送られ、そこで「身体の感覚(部分)」に変換されて心のなかに認められると考えます。


 現代科学は、このようなものと行動を見ておいてから、この行動もどきにからめて、快さと苦しさを定義づけます

つづく


前回(第25回)の記事はこちら。


このシリーズ(全32回)の記事一覧はこちら。

 

*1:行動とは何か、第6回①②で確認しました。