*身体をキカイ扱いする者の正体は第5回
いま、機械にしか用いることのできない正常異常という区分けを、機械ではない「身体の物的部分」に用いるというのは、不当な差別をすることであると確認しました。世界によって定められたありようを呈しているものしかないと科学には考えられるはずの「身体の物的部分」や、天候や、土くれといった存在を、勝手な基準をもってして、世界によって定められたありようを呈しているもの(問題無し、すなわち正常)と、世界によって定められたありようを呈し損なっているもの(問題有り、すなわち異常)とに分けるというのが、まぎれもなく、不当な差別をすることであるのをヒシヒシと実感するため、ひとつ、卑近な例を出して考えてみることにします。
不愉快な例でまことに申し訳ありません。ご容赦ください。
「女は家に居て、家事をするものである」といった偏狭な女性観(女性にたいするイメージのこと)を振りかざすひとがいるように俺には思われます。そうしたひとのなかには、専業主婦や家事手伝いこそ真の女であり、働く女は女の出来損ないであるといったようなことを言う人間がいます。
そういった人間はこういう考えかたをしていると言えるのではないでしょうか。
女性の設計製造者である世界はその設計製造行為によって、女性のありようを、「家に居て、家事をするもの」たるよう定めた。したがって実際の女性が、世界によって定められた「家に居て、家事をするものである」というありようを呈していれば、問題無しと判定して、正常な女と呼び、世界によって定められた「家に居て、家事をするものである」というありようを呈していなければ、定められたありようを呈し損なっているものと見て、問題有りと判定し、異常な女(女の出来損ない)と呼ぶことができるのだ、と。
しかし、女性を正常女性と異常女性に分類することはとうぜん不可能です。
女性のうちに、世界によって女性に定められたありよう以外のありよう、すなわち法則外のありよう(奇蹟)を呈することのできるかたがいらっしゃると、はたして考えられるでしょうか。
いえ、女性をその設計製造者たる世界によって定められたありようを呈しているかいないかで、問題無しか有りかに分け、それぞれを正常な女もくしは異常な女と呼ぼうとしても、どなたもみな、世界によって定められたありようを呈していると判定され、正常な女性とされることになるだけです。世界によって定められたありようを呈し損なっていると判定され、異常と呼ばれる女性はおひとりたりとも出てき得ません。
これまでもこれからも、ずっと。
女性は正常な女性に振り分けられるかたばっかりで、異常な女性と判定されるかたはおひとりたりとも出てきはしないというこのことは、女性を、世界によって定められたありようを呈している女性(問題無し、すなわち正常)と、世界によって定められたありようを呈し損なっている女性(問題有り、すなわち異常)とに分けるための基準などこの世には存在しないということを意味します。
よって、こう言えます。
例に出しました偏狭な女性観を持っている人間のように、世界によって女性のありようは「家に居て、家事をするもの」たるよう定められているとし、女性を、世界によって定められたそうしたありようを呈している女性(問題無し、すなわち正常)と、世界によって定められたそうしたありようを呈し損なっている女性(問題有り、すなわち異常)とに二分するというのは、世界によって定められたありようを呈しているかたしかいらっしゃらないと考えられるはずの女性を、勝手な基準をもってして分ける不当な差別をすること以外の何ものでもない、と。
機械にしか用いることのできない正常異常という区分けを、機械ではない女性に用いると、一部の女性を不当に差別することになるのを以上、たしかな実感をもって確認しました。いまや俺たちは、機械にしか用いることのできない正常異常という区分けを、ほんとうは機械ではない「身体の物的部分」に用いるというのは不当な差別をすることに他ならないと、たしかな実感をもって言えるようになったのではないでしょうか。
このシリーズ(全22回)の記事一覧はこちら。