(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

なにごとも、「他と共に在るにあたってどのように在るか」が争点だ、よなあ?

baseballは科学を批判しつづける第5回


 いま、机に着いておられたみなさんが立ち上がられてお振り返りになり、扉に向かって歩み寄って行かれているあいだ、扉が、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えるいっぽうで、みなさんの身体もまた、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えるのを確認した。一気に話が飛ぶと不満をお覚えになるかたも出てこられるかもしれないが、むしろそれとは逆に、くどくどと説明していないでもっと早くそう言うべきだったとお思いになるかたのほうが多いのではないかと期待してここでこう言うことにする。そもそも存在(音、匂い、味も含む)とは、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えるものなのだ、と。つまり、机に着いておられたみなさんが立ち上がられてお振り返りになり、扉に向かって歩み寄って行かれているその間、扉とみなさんの身体のふたつだけが、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに答えるのではないということである。その間、部屋の電灯も、床も、壁も、部屋の外の階段も、建物の外の道路も、巨大トラックも、駅も、ガタピシとかガタガタといった音などもそれぞれ、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」というこの問いに終始答えるというわけである。


 ではここで、たったふたつっきりではあるが、追加で、部屋の床と、トラックをとりあげ、補足確認する。


 まず部屋の床から。


 部屋の床もまた、みなさんが机に着いておられる当初は、そのすべてが「見えないありよう」を呈している。しかし、みなさんが立ち上がられてお振り返りになり、扉に向けて歩み寄って行かれているあいだ、床の、みなさんのまえで「見えるありよう」を呈している部分と、みなさんの後方で「見えないありよう」を呈している部分は刻一刻と移り変わっていく。しかも、その間に部屋の電灯がチカチカと点灯すれば、それに合わせて、床の、みなさんのまえで「見えるありよう」を呈している部分は、明るい姿を呈したり薄暗い姿を呈したりするし、轟音を立てながら、建物の外を巨大トラックが疾駆すれば、それに合わせて、部屋の扉や壁や天井や電灯らと一緒に、ガタピシという音を伴って小刻みに揺れもする。このように部屋の床も、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに答えていく。


 かたや建物の外を疾駆する巨大トラックはというと、建物の外でガタガタという轟音がし、部屋の扉、壁、天井、電灯、床などがガタピシと揺れるのに合わせて、建物の外に延びるいっぽんの道路を疾駆している、「見えないありよう」とでも言うべき姿を活き活きとあらわす。このように、巨大トラックの姿もまた、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えると言える。


 存在(音、匂い、味などを含む)は「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えるものである。机に着いておられたみなさんが立ち上がられてお振り返りになり、扉に向かって歩み寄って行かれているあいだ、扉、みなさんの身体、部屋の電灯、壁、床、部屋の外の階段、駅、巨大トラック、道路、駅、音などがお互い、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答え合うのである*1

つづく


前回(第4回)の記事はこちら。


このシリーズ(全13回)の記事一覧はこちら。

 

*1:2018年8月13日に、内容はそのまま、表現のみ一部修正しました。