(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

松の木がどんな問いに一瞬ごとに答えるか実にみなさんよくご存じである

*身体が機械じゃないのは明らかであるが第5回

 さて、松の木に歩み寄るとき、松の木が「俺の身体と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えると申してきました。けれども、松の木が答える問いを、「俺の身体と共に在るにあたってどのようにあるか」であると言うのでは実のところまだ不十分です。そうして歩み寄るとき松の木は、太陽が雲に隠れれば薄暗い姿を呈し、雲間から太陽がまた顔をのぞかせればふたたび明るく黄色っぽい姿を呈します。松の木が逐一答えるのは、「俺の身体太陽と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いであると言うほうがより適切です。


 が、これでも表現はまだ十分ではありません。


 松の木は微風が吹けば、俺のまえでカソコソという音を伴いながら枝葉をゆらし、一陣の突風が駆けぬければ、ガサゴソという激しい音を伴いながら幹ごと身をゆすります。俺が歩み寄っているあいだ松の木が逐一答えるのは、「俺の身体太陽と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いであると言うほうがより適切です。


 いや、もういっそのこと、俺が歩み寄っているあいだ松の木が逐一答えるのは、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いであるとぴしゃりとここで言い切るべきでしょう。


 そして、こうつけ足せば表現に不足はなくなるのではないでしょか。すなわち、松の木に歩み寄るとは、自分が松の木に、先ほどからどのように歩み寄ってきて、これからどのように歩み寄っていくか、記憶と予想を同時にしながら歩くこと、言い換えれば、松の木が、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、先ほどから逐一どう答えてきて、これから逐一どう答えていくか、把握に努めながら歩くことであって、松の木に歩み寄るとはどうすることかご存じであるみなさんは、松の木が、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えることを実によく知っておいでなのである、と。


 以上、俺が歩み寄っているあいだ(だけには限られませんが)、松の木が「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えること、また松の木に歩み寄るとはどうすることかご存じであるみなさんはどなたも松の木が、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えると実によく知っておいでであるということの、計2点をまず確認しました*1

つづく


前回(第4回)の記事はこちら。


このシリーズ(全17回)の記事一覧はこちら。

 

*1:2018年9月21日に、内容はそのままで表現のみ一部修正しました。