(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

いま現在は、出来事の最中だ、よなあ?

baseballは科学を批判しつづける第6回


 さて、存在(音、匂い、味などを含む)が、「他と共に在るにあたってどのようにあるかという問いに終始答えるものであることを確認したあと、こう申し上げた。机に着いておられたみなさんが立ち上がってお振り返りになり、扉に向かって歩み寄って行かれているあいだ、みなさんの身体、部屋の扉、電灯、壁、床、部屋の外の階段、駅、巨大トラック、道路、駅、音などはお互い、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答え合う、と。これは少し言い換えれば、こうとも言える。机に着いておられたみなさんが立ち上がってお振り返りになり、扉に向かって歩み寄って行かれているその間、みなさんの身体、部屋の扉、電灯、壁、床、部屋の外の階段、駅、巨大トラック、道路、駅、音などが、応答し合いながら共に在る、と。


 しかし、「応答し合いながら共に在るは、こうした現在の存在ばかりではない。みなさんの過去体験記憶や、未来体験予想も、「応答し合いながら共に在る」もののうちに含まれる。


 たとえばこんなことがあるとお考えいただきたい。


 着いておられた机から立ち上がられてお振り返りになったみなさんが、扉に向かって歩み寄って行かれている途中で、机の引きだしにしまってある10万円のヘソクリをもって出かけるという未来の選択肢にふとお思い至りになるとする(つまり、予想する未来が変わるとする)。そんなとき、みなさんの歩みは一転、思い切りを欠くようになるのではないだろうか。未来のそうした選択肢に思い至らなければ、ためらいなくそのまままっすぐ扉に向けて歩み行かれたにちがいないのに、である。


 このように、みなさんの身体や部屋の扉や電灯や壁や床などは、みなさんの未来体験予想とも、「応答し合いながら共に在る」のだと思われる。


 もしくは、着いておられた机から立ち上がられてお振り返りになったみなさんが、扉に向かって歩み寄って行かれている途中で、机のうえに置いてあった部屋のカギ(外出に欠かせない)を取り忘れたことにお気づきになるとする。そんなとき、みなさんの身体は急に止まり、机のほうにとって返すのではないだろうか。取り忘れたことを思い出されなければ、そのまま扉に向けて歩み寄っておられたにちがいないのに、である。


 みなさんの身体や部屋の扉や電灯や壁や床などは、みなさんの過去体験記憶とも、「応答し合いながら共に在る」。


 机に着いておられたみなさんが立ち上がってお振り返りになり、扉に向かって歩み寄っていかれるあいだ、みなさんの身体、部屋の扉、電灯、壁、床、部屋の外の階段、駅、トラック、道路、駅、音などのほか、みなさんの過去体験記憶未来体験予想も、「応答し合いながら共に在る*1

つづく


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第1回


第2回


第3回


第4回


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*1:2018年8月13日、内容はそのままで表現のみ一部修正しました。