(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

科学の身体説明は何かちょっとニオウとみなさんお感じである1st

*身体が機械じゃないのは明らかであるが第15回


 ちょうどいま見ましたところも含め、ここまで確認してきましたことを簡単に総ざらいします。

  1. 「身体の物的部分」で、物質的出来事は、「身体の感覚部分の関与のもと起こる(「身体の物的部分」は機械ではない)。
  2. みなさんそのことを実によくご存じである。
  3. 身体の物的部分を研究するとは、「状況把握を突きつめることである。つまり、「身体の物的部分」、「身体の感覚部分」、周囲の存在たちの姿や、過去体験記憶、未来体験予想らが、いまこの瞬間まで「どのように応答し合いながら共に在ったか」(過去)をもっと詳しく、もっと的確に捉えることをとおして、いまこの瞬間から「どのように応答し合いながら共に在るか」(未来)をもっと詳しく、もっと的確に推し量ろうとすることである。


 前記3に書きましたように、「身体の物的部分」を研究するとは、「身体の物的部分」だけに着目することではありません。しかし科学は、「身体の物的部分」を研究すると言いながら、みなさんはるか以前にお気づきでしょうけれども、「身体の物的部分にしか着目しません。科学はまず「身体の物的部分」で、物質的出来事は、「身体の感覚部分の関与無く起こるということにし、「身体の物的部分」を機械とします(この文章では先に宣言しましたとおり、「身体の感覚部分」の関与にのみ焦点を当てています)。そして、「身体の物的部分」で物質的出来事が起こるのに関与するものとしては、「身体の物的部分のうちにある物質しかあげません。そのほかに何かあげるとしても、それは、「身体の物的部分」の外からやってきて「身体の物的部分」表面に接するか、もくしはその内部に入ってくるかする物質だけです(科学が言う環境因子とはこうした物質にすぎません)。


 けれどもこのように「身体の物的部分」にしか着目しないとなると、とうぜん、「身体の物的部分」、「身体の感覚部分」、松の木、太陽、雲、風、音などや、過去体験記憶、未来体験予想らが、これまで「どのように応答し合いながら共に在ったか」(過去)捉え損ないます。すなわち、「身体の物的部分」に起こる物質的出来事をうまく説明できなくなります。たとえば説明から何かとても大事なものがぬけ落ちたり*1、説明のつかない現実にぶち当たったり、説明の帳尻を合わせるために何かとコジツケをしなければならなくなったり、説明がご都合主義になったり、不都合な事実(データ)を隠さなければならなくなったり、説明がオカルト的になったりといったようにです。


 で、そのように過去を捉え損えば、おのずと、「身体の物的部分」、「身体の感覚部分」、松の木、太陽、雲、風、音などや、過去体験記憶、未来体験予想らが、これから「どのように応答し合いながら共に在るか」(未来)推し量り損ねることになります。「身体の物的部分」の未来だけではなく、「身体の感覚部分」、周囲の存在たちの姿、過去体験記憶や、未来体験予想らが、未来でどうなるかといったことも、ことごとく推し量り損ねることになります*2

つづく


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*1:「身体をキカイ扱いする者の正体は」という記事でその大事なものを見ます。

*2:2018年9月30日に、内容はそのままで表現のみ一部修正しました。