(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

大谷選手ファンは大谷選手をもっともよく研究する、かなあ?

baseballは科学を批判しつづける第8回


 大谷選手がマウンドからボールを投げるというのがどういうことか、より明確になった。こう申し上げた。マウンドからボールを投げるとき、大谷選手の「身体の物的部分」、大谷選手の「身体の感覚部分」、大谷選手が目の当たりにする景色や聞く音、大谷選手自身の過去体験記憶や未来体験予想などが、「応答し合いながら共に在る」のをみなさんテレビのプロ野球ライブ中継でまざまざとご覧になる、と。


 こうして事細かなところまで言葉にしてみると、たしかに、大谷選手がマウンドからボールを投げるのをご覧になるというのは、高度な作業のように思われるけれども、実際のところ、みなさんにとって、大谷選手がマウンドからボールを投げるのをご覧になるのは、非常に楽しいことではあれ、決してむつかしいことではない。大谷選手がボールを投げるのをみなさんは、お茶の間でビールを飲んだりしておくつろぎになりながら、いとも簡単にご覧になってみせる。


 しかしそれでいて、大谷選手がマウンドからボールを投げるのをご覧になるというのは、みなさんにとって奥が深い作業であるとも言える。


 はたして、みなさんは、マウンドから大谷選手がボールを投げるのをプロ野球ライブ中継でご覧になるだけで満足なさるだろうか。それだけでは納得なさらず、ご自分で大谷選手のフォームをまねされたり、ビデオ映像をくり返し再生なさったり、大谷選手を取材した文章やテレビ番組を欠かさずご覧になったりするのではないだろうか。大谷選手は日々どんな練習やトレーニングをしているのか、手足はどれくらい長いのか、筋肉は柔らかいのか、ムキムキなのかといったように大谷選手の「身体の物的部分」について知ろうとなさるほか、ボールを投げるとき、どこを見ているのか、どんな気持ちでいるのか、どんなイメージを持っているのかとか、力の入れ具合はどうなのか、何を考えているのか、応援(歓声など)は力になっているのか等々、いろいろお知りになろうとするのではないだろうか。そうして、マウンドからボールを投げるとき大谷選手の「身体の物的部分」に起こる一連の物質的出来事を把握するために、大谷選手の「身体の感覚部分」、大谷選手が目の当たりにする景色や聞く音、大谷選手自身の過去体験記憶や未来体験予想などにも調査の手をお伸ばしになるのではないだろうか。そのように、マウンドからボールを投げるとき、大谷選手の「身体の物的部分」、大谷選手の「身体の感覚部分」、大谷選手が目の当たりにする景色や聞く音、大谷選手自身の過去体験記憶や未来体験予想などが、「どのように応答し合いながら共に在る」のか、プロ野球ライブ中継でご覧になっていたときより、もっと詳しくもっと的確に把握しようと、みなさんなさるのではないだろうか。


 大谷選手がどのようにボールを投げるのか、関心をお持ちのみなさんは、マウンドからボールを投げるとき、大谷選手の「身体の物的部分」で一連の動きが起こるのに関与するのは、大谷選手の「身体の物的部分」のうちの物質だけだとは決してお考えにはならない(つまり大谷選手の「身体の物的部分」を機械だとはお考えにはならない)。


 くり返しクドクドと申し上げる。マウンドからボールを投げるときの大谷選手の「身体の物的部分」をご研究になるとはまさに、マウンドからボールを投げるとき、大谷選手の「身体の物的部分」、大谷選手の「身体の感覚部分」、大谷選手が目の当たりにする景色や聞く音、大谷選手自身の過去体験記憶や未来体験予想などが、「どのように応答し合いながら共に在るか」、テレビでプロ野球ライブ中継をご覧だったときより、もっと詳しくもっと的確に把握しようとなさることである。大谷選手を熱心に応援されているかたはどなたも、こうお思いになるのではないだろうか。客観性が大事だなどと言って、大谷選手の「身体の物的部分」にしか着目しないひとや、「身体の物的部分」にしか着目できないひとには、残念ながら、未来永劫、ボールを投げるとき大谷選手の「身体の物的部分」に一連の物質的出来事がどのように起こるのか説明することはできないだろう、と*1

つづく


前回(第7回)の記事はこちら。


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*1:2018年8月25日に、内容はそのままで表現のみ一部修正しました。