(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

身体を機械と見たんじゃあ、スポーツは説明できない、よなあ?

baseballは科学を批判しつづける第7回


 机に着いておられるみなさんが立ち上がってお振り返りになり、扉に向けて歩み寄って行かれるというのは、みなさんの身体、部屋の扉、電灯、壁、床、部屋の外の階段、駅、トラック、道路、駅、音などや、みなさんの過去体験記憶、未来体験予想らが、「応答し合いながら共に在る」ということであると確認した。ここで、みなさんの身体とは、「身体の物的部分」と「身体の感覚部分」とが、同じ場所を占めてひとつになっているもののことであるのを考え合わせれば、これはこう言い直せる。


 机に着いておられるみなさんが立ち上がってお振り返りになり、扉に向けて歩み寄って行かれるというのは、みなさんの「身体の物的部分」、みなさんの「身体の感覚部分」、部屋の扉、電灯、壁、床、部屋の外の階段、駅、トラック、道路、駅、音などや、みなさんの過去体験記憶、未来体験予想らが、「応答し合いながら共に在る」ということである、と。


 ではここで、みなさんがテレビのプロ野球ライブ中継でご覧になる大谷選手に話を戻そう。


 先に、マウンドからボールを投げるとき、大谷選手の「身体の物的部分」の一連の動きが、大谷選手の「身体の感覚部分」、大谷選手が目の当たりにしている景色や聞いている音、大谷選手自身の過去体験記憶や未来体験予想などの関与のもと起こるのを、みなさん、テレビのプロ野球ライブ中継でまざまざと目撃なさるのを確認した。そして、「身体の物的部分」に一連の動きがそうした関与のもと起こるというのがどういうことか以後、見ていくと宣言した。


 いまやその宣言どおり、事が明らかになろうとしている。


 そう、マウンドからボールを投げるとき、大谷選手の「身体の物的部分」の一連の動きが、大谷選手の「身体の感覚部分」、大谷選手が目の当たりにしている景色や聞いている音、大谷選手自身の過去体験記憶や未来体験予想などの関与のもと起こるのをまざまざとみなさんが目撃なさるというのはまさに、大谷選手の「身体の物的部分」、大谷選手の「身体の感覚部分」、大谷選手が目の当たりにする景色や聞く音、大谷選手自身の過去体験記憶や未来体験予想などが、「応答し合いながら共に在る」のをまざまざとご覧になるということなのである*1

つづく


前回(第6回)の記事はこちら。


このシリーズ(全13回)の記事一覧はこちら。

 

*1:内容はそのままで表現のみ一部、2018年8月16日に修正しました。