(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

私みたいにひとの気持ちがわからない者には身体は研究できない、よなあ?

baseballは科学を批判しつづける第12回


 マウンドから大谷選手がボールを投げる姿を、テレビのプロ野球ライブ中継でご覧になる場面をみなさんにはご想像いただいている。その場面でみなさんは、マウンドからボールを投げるとき(だけにはほんとうは限らないが)、大谷選手の「身体の物的部分」、大谷選手の「身体の感覚部分」、大谷選手が目の当たりにする景色や聞く音、大谷選手自身の過去体験記憶や未来体験予想などが、「応答し合いながら共に在る」のを目撃なさるということだった。


 このように、マウンドからボールを投げるとき、大谷選手の「身体の物的部分」、大谷選手の「身体の感覚部分」、大谷選手が目の当たりにする景色や聞く音、大谷選手自身の過去体験記憶や未来体験予想などが、「応答し合いながら共に在るのをみなさんが目撃なさるというのはどういうことなのかもう少し詳しく見ておきたい*1


 みなさんには、マウンドからボールを投げる大谷選手の姿をテレビのプロ野球ライブ中継でご覧になっているあいだのある一瞬をまずとりあげていただく。


 あたりまえではあるが、その一瞬、みなさんは、その瞬間(現在)まで大谷選手がどのように動いてきたかを記憶しておられる。と同時に、その瞬間(現在)から大谷選手がどのように動いていくかを予想してもおられる。ひと言で申せば、その一瞬、みなさんは、その瞬間(現在)まで大谷選手がどのように動いてきて、その瞬間(現在)から大谷選手がどのように動いていくか、把握にお努めになりながら、大谷選手をご覧になっている。


 いま、テレビをご覧になっているあいだのある一瞬についてお考えいただいたが、みなさんは、マウンドからボールを投げる大谷選手をご覧になっているあいだ中ずっと、こうした把握に努めておいである。まさにみなさんは、大谷選手の「身体の物的部分」、大谷選手の「身体の感覚部分」、大谷選手が目の当たりにする景色や聞く音、大谷選手自身の過去体験記憶や未来体験予想などが、その瞬間(現在)まで共に在るにあたってどのように応答し合ってきてその瞬間(現在)から共に在るにあたってどのように応答し合っていくか、終始、把握にお努めになりながら、大谷選手をご覧になるというわけである。これこそ、くり返しクドクドと申し上げてきた、マウンドからボールを投げるとき、大谷選手の「身体の物的部分」、大谷選手の「身体の感覚部分」、大谷選手が目の当たりにする景色や聞く音、大谷選手自身の過去体験記憶や未来体験予想などが、「応答し合いながら共に在るのをみなさんが目撃なさるということの詳細である。


 このように、大谷選手の「身体の物的部分」、大谷選手の「身体の感覚部分」、大谷選手が目の当たりにする景色や聞く音、大谷選手自身の過去体験記憶や未来体験予想などが、その瞬間(現在)まで、共に在るにあたってどのように応答し合ってきて、その瞬間(現在)から、共に在るにあたってどのように応答し合っていくか、把握にお努めになることは、ふだんみなさんがお使いの言葉を用いるなら、状況把握と呼ぶことができる


 みなさんは日々いろんな局面でこうした「状況把握」をなさる。スポーツで対戦される相手を観察されるとき、道や部屋のなかをお歩きになる他人に注意されるとき、対向車や路肩を走る自転車にお気遣いなさるとき、他人の身の上をご配慮になるときなどに。


 みなさんは日々いろんな局面で他人についてこうした「状況把握」をなさることで、「身体の物的部分」で物質的出来事が起こるのに関与するのはその身体の物的部分のうちの物質だけだとする科学の身体機械論を身をもって真っ向から否定なさっているのである。ただし、「身体の物的部分」で物質的出来事が起こるのに関与するのは「身体の物的部分」のうちの物質だけだと科学にならって考えれば、こうした「状況把握」をする必要はなくなって、研究者は楽ができることになるし、私みたいに「状況把握」が苦手な、ひとの身になることのできない者でも、「身体の物的部分」を研究できることにはなるけれども*2

つづく


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第1回


第2回


第3回


第4回


第5回


第6回


第7回


第8回


第9回 


第10回


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*1:以下、うまく書けていません。後日「状況・最小単位説」と銘うち、まったく違った表現の仕方で書き直す予定です。2018年9月5日記す。

*2:2018年9月5日、内容はそのままに表現のみ一部修正しました。