(新)Nothing happens to me.

科学はボタンをかけ違えたまま来たのではないでしょうか。

身体は機械ではないと実にみなさんよくご存じである

身体が機械じゃないのは明らかであるが第8回

 松の木に歩み寄る例を用い、「身体の物的部分が機械ではないことを確認しました。「身体の物的部分、脳、神経、筋肉、関節、骨、臓器、皮膚、血液、血管等による物質的出来事は、「身体の感覚部分」、松の木、太陽、雲、風、音などの関与のもと起こります。「身体の物的部分」での物質的出来事が、「身体の感覚部分の関与無く起こる(「身体の物的部分」は機械である)などということは決してありません。


 さて、松の木に歩み寄る例を用いて申しますと、このように「身体の物的部分」で物質的出来事は、「身体の感覚部分」、松の木、太陽、雲、風、音などの関与のもと起こりますが、この文章では、冒頭で申しましたとおり、それら関与するもののうち、「身体の感覚部分のみをとりあげて考察して参ります


 ではここで、「身体の物的部分」で、物質的出来事が、「身体の感覚部分」の関与のもと起こるこのことについて、松の木に歩み寄っているあいだの右足に話を限定し、補足して見ておくことにします。


 松の木に歩み寄っているあいだ、俺の右足は、地面から離れて前方に移動しては、ふたたび地面へ着地するという動きを何度もくり返します。右足は、「右足の感覚部分」と「右足の物的部分」とがほぼ同じ場所を占めてひとつになっているもののことですけれども、では、このように右足が前方に移動するのを、ひとり「右足の物的部分」だけがやってのけるのでしょうか(科学はそのように考えます)。それとも、「右足の感覚部分」が「右足の物的部分」をまえに連れていくのでしょうか。


 いまの俺たちは、そのどちらでもないと胸を張って言えます。


 松の木に歩み寄る例を用いて先ほど確かめましたように、まさに歩いているあいだ、俺の右足のうちの二部分である「右足の感覚部分」と「右足の物的部分」とは、「応答し合いながら共に在」ります*1。つまり、「右足の物的部分」で、神経、筋肉、関節等による物質的出来事が、「右足の感覚部分」の関与のもと起こるのと同時に、「右足の感覚部分」では、感覚的出来事が、「右足の物的部分」の関与のもと起こります(いまは右足についてのみ考察しています)。「右足の感覚部分」と「右足の物的部分」とはこのように、連れ合ってまえに出るわけです。


 ここまで、「身体の物的部分」で、物質的出来事が、「身体の感覚部分」の関与のもと起こること(「身体の物的部分は機械ではないこと)を確認してきました。


 先に進みます。今度は、「身体の物的部分」が機械ではないというこのことをみなさんが実によくご存じであるのを確認します


 松の木に歩み寄るとは、自分が松の木に、先ほどからどのように歩み寄ってきていて、これからどのように歩み寄っていくか、記憶と予想を同時にしながら歩くことでした。すなわち、松の木に歩み寄るとは、「身体の物的部分」、「身体の感覚部分」、松の木、太陽、雲、風、音などが、いまこの瞬間まで「どのように応答し合いながら共に在」り、またいまこの瞬間から「どのように応答し合いながら共に在るか」、把握に努めながら歩くことでした。したがいまして、松の木に歩み寄るとはどうすることかご存じであるみなさんは、「身体の物的部分」、「身体の感覚部分」、松の木、太陽、雲、風、音などが、「応答し合いながら共に在る」ことを、実によく知っておられると言えます。すなわち、「身体の物的部分」で、物質的出来事が、「身体の感覚部分」、松の木、太陽、雲、風、音などの関与のもと起こる(「身体の物的部分は機械ではない)とみなさん実によくご存じであると言えます。


 以上、最初に予告しておきましたつぎの2点につき、確認がとれました。

.たしかに「身体の物的部分」で物質的出来事は「身体の感覚部分」の関与のもと起こること(「身体の物的部分」は機械ではないこと)

.またそのことをみなさん実によくご存じであること*2

つづく


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*1:ここはこんなふうに言うこともできると2018年9月24日に付記します。

「右足の感覚的部分」が、「右足の物的部分と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えると同時に、「右足の物的部分」のほうも、「右足の感覚部分と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答える。

*2:2018年9月24日に、内容はそのままで表現のみ一部修正しました。