(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

身体は機械ではない

*身体が機械じゃないのは明らかであるが第7回


 ここまで、つぎの2点を確認しました。

  1. 松の木に歩み寄っているあいだ(だけには限られませんが)、松の木、俺の身体、太陽、雲、風、音などそれぞれが、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えること。
  2. そのことをみなさん実によくご存じであること。


 さて、松の木に歩み寄っているあいだ(だけには限られませんが)、松の木、俺の身体、太陽、雲、風、音などそれぞれが、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるといま申しましたところは、つぎのように言い換えることができます。


 松の木に歩み寄っているあいだ(だけには限られませんが)、松の木、俺の身体、太陽、雲、風、音などが、応答し合いながら共に在る、と。


 では、いまから、冒頭で宣言しましたとおり、「身体の物的部分」は機械ではないこと、またそのことをみなさん実によくご存じであること、の計2点を確認いたします。


 先に触れましたが、俺の身体とは、俺の「身体の物的部分」と「身体の感覚部分」とがほぼ同じ場所を占めてひとつになっているもののことです。したがいまして、松の木に歩み寄っているあいだ(だけには限られませんが)、松の木、俺の身体、太陽、雲、風、音などが、「応答し合いながら共に在る」といま申しましたところはさらに細かくしてこう言えます。


 俺が松の木に歩み寄っているあいだ(だけには限られませんが)、松の木、俺の身体の物的部分」(脳、神経、筋肉、関節、骨、臓器、皮膚、血液、血管、その他)、俺の身体の感覚部分」、太陽、雲、風、音などが、「応答し合いながら共に在る」、と。


 こうして、事ここに至って、俺の身体の物的部分、脳、神経、筋肉、関節、骨、臓器、皮膚、血液、血管等による物質的出来事がどのように起こるのかが、白日のもとになります。


 俺の「身体の物的部分」で、それら、脳、神経、筋肉、関節、骨、臓器、皮膚、血液、血管等といった物質たちは、「応答し合いながら共に在」ります。が、それらは、それらだけで、「応答し合いながら共に在る」のではありませんでした。それら物質たちは、俺の「身体の感覚部分」や、松の木、太陽、雲、風、音などとも、「応答し合いながら共に在る」わけでした。このように「身体の物的部分、脳、神経、筋肉、関節、骨、臓器、皮膚、血液、血管等による物質的出来事は、俺の「身体の感覚部分」や、松の木、太陽、雲、風、音などの関与のもと起こります


「身体の物的部分」で、物質的出来事が、「身体の感覚部分の関与無く起こる、すなわち「身体の物的部分は機械である、などということは決してないと、ここでまず正式に明らかとなります*1

つづく


前回(第6回)の記事はこちら。


このシリーズ(全17回)の記事一覧はこちら。

 

*1:2018年9月22日に、内容はそのままで表現のみ一部修正しました。