*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第3回
ふたつの用語の定義を見ました。
したがって、利益と不利益をコインの表裏のようにつねに表裏一体と見ることから始まる、さきほど確認した論理展開(注、前回の記事で確認したこと)は、この二つの用語をつかって言い直せばつぎのようになります。
- 論理1:利益を得るとはかならず他に不利益を与えること、つまり利己的行為である。
- 論理2:他に利益を与えるとはかならず自分が不利益をこうむること、すなわち利他的行為である。
- 論理3:利己的行為は生きるために利益を得ることの役に立つが、利他的行為は、自分が不利益をこうむることになるだけであって、生きることの役に立たないどころか、足引っぱりにすらなる。
では、論理3まで考え進んだここで、こう決めつけると、どうなるでしょうか(この決めつけが正しいかどうかは考えないでください)。すなわち、生きるのに役立たないどころか足引っぱりにすらなる利他的行為は、生物の進化の歴史の過程で淘汰され、すでにこの世から消えて無くなっているはずである、と。
『利己的な遺伝子』の訳者のひとりである日高敏隆さんが、この本の内容を要約したあとがきで、進化論のこの考え方をつぎのように書いています。
動物にみられる一見「道徳的」な行動(中略)をどのように解釈するかは〔進化論者にとって(引用者注)〕、長い間の問題であった。とくに、自己犠牲的な利他行動がいかにして進化しえたかということは、説明が困難だった。
(略)利他的にふるまう個体は、そうでない個体より大きなリスクをおかすのであるから、死ぬ確率は高いわけである。したがって、そのような個体の遺伝子は残りにくいのではないか。もし利他行動をさせる遺伝子というものがあるとすれば、それはたえずふるいにおとされてゆくはずなので、利他行動が進化することはなさそうにみえる(リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子〈増補新装版〉』日高敏隆・岸由二・羽田節子・垂水雄二訳、紀伊國屋書店、2006年、「訳者あとがき」526頁)。
- 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
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進化論のこの考え方が正しいかどうかはいまは問題とせず、ともかく進化論ではこう考えるのだと頭からウノミにし、利益を得られないどころか、不利益をこうむることになる、生きるのに役立たない利他的行為は淘汰されてすでに今現在この世から消えて無くなっているはずだとここで決めつけることにします。
すると、利益と不利益をつねに表裏一体とする考えかたでは、こうなります。
自然淘汰のすえ、生物の行動のうちで今現在、残っているのは、生きるのに役立つ利己的行為だけにちがいない。
まさにドーキンスはそう言います。彼のつぎの言葉に耳を傾けてください。
人間もヒヒも自然淘汰によって進化してきた。自然淘汰のはたらき方をみれば、自然淘汰によって進化してきたものは、なんであれ利己的なはずだということになる。それゆえ、われわれは、ヒヒ、人間、その他あらゆる生きものの行動をみれば、その行動が利己的であることがわかる、と考えねばならない。もしこの予想が誤りであることがわかったならば、つまり、人間の行動が真に利他的であることが観察されたならば、そのときわれわれは、困惑させられる事態、説明を要する事態にぶつかるであろう*1。
自然淘汰の結果、生物にはいまや利己的行為しか見当たらないはずであるとドーキンスは断じています。どうでしょうか。彼は、利益と不利益をコインの表裏のようにつねに表裏一体であるとみなし、こうした見解にいたったのではないでしょうか*2。
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