*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第4回
以上をもって、ドーキンスが、利益と不利益をつねに表裏一体とみなしていることが確認できたものとします。くどいですが、ここまで確認してきた論理展開を箇条書きにして復習すると、こうなります。
- 論理1:利益を得るとはかならず他に不利益を与えること、つまり利己的行為である。
- 論理2:他に利益を与えるとはかならず自分が不利益をこうむること、すなわち利他的行為である。
- 論理3:利己的行為は、生きるために利益を得ることの役に立つが、利他的行為は、生きることの足引っぱりになる。
- 進化論的理論:生きるのに足引っぱりにしかならない、利他的行為は淘汰され、すでにこの世から消え去っているはずである。したがって今現在、生物のうちに認められるのは、生きるのに役立つ利己的行為だけであるにちがいない。
さてここからは、彼がこのあと展開することになる論理の続きを追っていきます。そのために、先ほど引用した文章をもう一度、読んでみます。こう言っていました。
人間もヒヒも自然淘汰によって進化してきた。自然淘汰のはたらき方をみれば、自然淘汰によって進化してきたものは、なんであれ利己的なはずだということになる。それゆえ、われわれは、ヒヒ、人間、その他あらゆる生きものの行動をみれば、その行動が利己的であることがわかる、と考えねばならない。もしこの予想が誤りであることがわかったならば、つまり、人間の行動が真に利他的であることが観察されたならば、そのときわれわれは、困惑させられる事態、説明を要する事態にぶつかるであろう(リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子〈増補新装版〉』日高敏隆・岸由二・羽田節子・垂水雄二訳、紀伊國屋書店、2006年、6〜7ページ)。
- 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2006/05/01
- メディア: 単行本
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で、じっさいにドーキンスは困ることになったというのがつぎの展開です。
利益と不利益をコインの表裏のようにつねに表裏一体とみなしてからずっと論理の糸を追ってきた彼はついに、生物には今現在、利己的行為しか見当たらないはずだという見解に至りました。そこで彼は、現にそうなっているか確認しようとふと顔をあげ、周りの様子を見渡してみました。すると予想に反し、多くの生物が、利他的行為をとっていました。
彼は、自分の「進化論的理論」(生物には今現在、利己的行為しか存在しないにちがいないとする推論)が破綻する事態にいきなり直面することになったわけです。
彼はこの場面でどう立ちまわるのでしょうか。
自分の理論と現実とがこのように背反するに至ったとき、みなさんなら、どうご対応なさいますか。
俺はといいますと、こういった場面でひとがとりえる手は二つあると考えています。
理論と現実が食いちがっているのに気づいたのをきっかけとして、理論のほうを点検、反省するのがまずひとつです。現実に理論をあわせる手です。いまの場合なら、生物にはもう利己的行為しか存在しないにちがいないとする進化論的理論自体に何かおかしなところがあったのではないかと反省するのがその手に当たります。じっさいにのちほど、ドーキンスたちの力を借りて、俺たちなりにこの「進化論的理論」を修正してみます。
残りのひとつは、理論にあうよう現実を読み替え、理論を守る手です。ドーキンスをはじめとした進化論者はこちらをとります。
今現在、生物にみとめられるのは、生きるのに役立つ利己的行為だけである。にもかかわらず、現在、淘汰されて存在しないはずの利他的行為も生物には存在している。なぜか。きっと利他的行為も、じつのところは、利己的行為なのだ。でなければ、利他的行為がいまこの世に存在するはずはあるまい。
進化論者は、理論と現実の食いちがいが明らかになったこの場面で、そう考え、利他的行為を、利己的行為に読み替えます。まさにこの読み替えをやってみせるのが、ドーキンスの『利己的な遺伝子』という本の目的です。ご本人が、その本の冒頭やまえがきで何度もそう主張しています*1。
どのみち、この本の意図は、ダーウィニズムの一般的な擁護にあるのではない。そうではなくて、ある論点について進化論の重要性を追求することにある。私の目的は、利己主義(selfishness)と利他主義(altruism)の生物学を研究することである*2。
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