(新)Nothing happens to me.

科学はボタンをかけ違えたまま来たのではないでしょうか。

疫学という数量化(後半)

津田敏秀『医学的根拠とは何か』岩波書店

前半からのつづき

 津田さんは日本でこうまでEBMが普及しない理由を本書で二つあげている。そのひとつは直感を重視する医師の理解がえられないこと。もうひとつは、身体内のメカニズムを解明することこそ医学の根拠であると信じるメカニズム派の医師が日本では大半を占めていることである。が、津田さんに言わせれば、身体内の分子的なメカニズムを解明することは絶望的である(そういえば私が読んだ、物理学者シュレーディンガーの『生命とは何か』という本では、原子の動きを把握するには統計によるしかないという考え方を前提に話が進んでいくのだった)。

医学的根拠とは何か (岩波新書)

医学的根拠とは何か (岩波新書)

 

 

生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫)

生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫)

 


 福島原発事故後の放射線被爆問題、1996年に大阪府堺市でおこったO157大規模食中毒事件、水俣病認定問題、乳児突然死症候群SIDSといった例を津田さんはあげ、こうした規模の大きな医療問題でも表に出てくるのはメカニズム派や直感派の医師ばかりであって、十分なデータ収集やデータ解析が行われていないこと、またそうしたデータにもとづいた医療対策が立てられていないことを指摘している。


 そして、日本でいぜん数量化がうけいれられていない例として本書で何度も話題にあがるのが、タバコの問題である。データ分析からタバコの危険性はすでに明らかになっているが、その危険性が日本では、法廷、医師、法学者たちにうけいれられていないと津田さんはいう。彼らの論理とはこういったものだそうである。喫煙していると実際に疾病に罹患する確率が相当程度高まると統計データからは言えるとしても、それは、喫煙と疾病の「一般的」な関連性を示しているだけであって、「各個人」において実際に喫煙と疾病とが関連しているのかどうかまでを言うものではない。Aさんにおいて喫煙が疾病に関連があったのかどうかは、統計データからはわからないのだ  


 いったいこの論理は何を言っているのだろうか。それを理解するには、養老孟司さんの、タバコはがんの真の原因ではないのではないかという言葉が手引きになるのかもしれない。津田さんは次のように言っている。

タバコをやめた人はタバコを続けた人に比べ、肺がんの発生率比や死亡率比がしだいに下がってくる。これはタバコが肺がんの真の原因であることを強力に支持する観察結果である。(略)


 標記〔引用者注:タバコをやめるとがんのリスクが減るが、それは真の原因を取り除いているわけではない〕のように言う人は、「真の原因」を具体的にどのように知るというのだろうか? 例えば元東京大学医学部教授の養老孟司氏は、「たばこは健康に悪いかもしれないが、肺がんの主因であるかどうかについては疑問がある。現実に、日本人の喫煙率は下がり続けているのにもかかわらず、肺がんの発症率は上昇する一方である〔引用者注:津田さんによると、発生率はずいぶん前から下がっているらしい〕。日本人の寿命が延びたことも理由だが、発がんのメカニズムは複雑で、原因となるものも食生活から大気汚染、ストレスまで無数にある。たまたま肺にがんができたのを肺がんと呼んでいるだけで、でなければ非喫煙者で肺がんになる人が山のようにあることを説明できない」と述べる(『SAPIO』2011年9月14日号)。


 氏の発言に反し肺がんが減少していることは112ページで述べるが、氏は「メカニズムは複雑」と言いながら徹底してデータを出さずに議論ではぐらかす。喫煙者では非喫煙者よりはるかに多く肺がん患者がいる事実に触れず、データから求められた結果があるにもかかわらず「説明できない」としている。国際がん研究機関IARCががんの環境要因に関するモノグラフを100巻以上積み上げていることをまったく知らないようだ。


 これらの話はすでに決着がついている。タバコの中毒性と健康リスクについては世界の大手タバコ会社も納得している(『医学的根拠とは何か』89-90ページ)。


 養老孟司さんはこう考えるわけである。肺がんの原因はたくさんある。タバコは、複数あるそういった原因のなかのひとつかもしれないが、主な原因ではないのではないか、と。こうした考え方からすると、統計データから、肺がんの原因のひとつとしてタバコを示すことはできるが(疾病とタバコの「一般的」関連を示すことはできるが)、現にタバコこそが、Aさん「個人」の肺がんの原因だったとまで断定することはできないということになる。Aさんは他の原因によって肺がんになったかもしれないではないかということなのだろう。


 しかしこういった考え方の食い違いからは学ぶべきことが多いように思われる。私には津田さんがとても重要な問題箇所を提供してくれているような気がするのであるが、どうだろうか。

(了)


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