(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』

 大学で関西出身の友人がひとりできた。関西人と知り合いになったのはそれが初めてだった。今でこそ、「上方文化」はテレビなどを介して日本各地に浸透しているが、私が学生の頃はまだ、上方はそれこそ異国の地である。興味津津で彼に近づき、観察し、いろいろと質問したものである。


 彼は自慢げによくこんなことを言っていた。


「大阪では、オチのない話をしたらアカンかったねん。オチがない話をしたら、『ほんで?』って言われたねん」


 暇に飽かせて私たちは四六時中一緒にいた。私も彼の薫陶を受けたクチである。


 ふざけている時も、真面目な時も、口を開いている限り、彼のお喋りにはいつも、聞いている者へのくすぐりがあった。


 高橋源一郎著『ジョン・レノン対火星人』を読んでいて、今は亡きその友人の記憶が、数十年ぶりに不意に蘇ってきたのである。長らく忘れていた、滋賀県出身のその友人のお喋りが、自然と文章に重なった。その友人が喋っているのを聴いているような気分になったのである。


 源一郎氏によると、この小説がデビュー作になるはずだったらしい。十年ぶりに文章を書き始め、或る瞬間、彼は何かをつかんだ。で、さっそく『すばらしい日本の戦争』というタイトルで小説を書き出した。奇妙で、バカバカしくて、最低で、およそ世の中の人から顰蹙をかうような作品を求めて。


 そして、みごと群像新人賞の最終選考会で、選考委員の顰蹙をかい、落選したというわけだ。


 『すばらしい日本の戦争』を少し書き直して発表したのが、この『ジョン・レノン対火星人』なのだそうである。


 この友人の葬式からの帰り、大学の同窓生数人と居酒屋で久々に旧交を温め、彼の話で盛り上がった。


「そうそう、よくイライラしてたヤツだったね」


「嫌なこともいっぱい言われたなあ」


「効果をしっかり計って、嫌なことを言ってたよね」


「お前だっけ、椅子、投げつけられたの?」


「三十(歳)になったら、超高層ビルから飛び降りて死んでやるねんって、よく言ってたよな」


 私たちは彼のために祝杯をあげて店を出た。


ジョン・レノン対火星人』は、源一郎氏の他の小説とは少し違っている。氏自身も書いている通り、この小説には、憎しみと怒りがつまっているのである。


 友人のせかせかと歩く後ろ姿が長らく、念頭から去らない。

ジョン・レノン対火星人 (講談社文芸文庫)

ジョン・レノン対火星人 (講談社文芸文庫)

 
(了)