(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

漫画に出てくる幻聴「神様の声に、触れ、食べるな、と命令される」を理解する(5/6)【統合失調症理解#17】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.39


◆ゲン担ぎの発想をした

 さあ、いま、もつおさんがはじめて“神様の声を聞いた”場面を考察しました。もつおさんは、「現実修正解釈」をしたのではないかということでしたよね。つまり、簡単に言うと、悩みと不安でいっぱいになったそのとき、「ベンチを触れば…」(ベンチを触れば大丈夫だ)と考えついたが、自分がそう考えついたことにもつおさんは気がついていなかったのではないか、ということでしたね。


 でも、仮にそうだったのだとしても、そのとき「ベンチを触れば…」と考えついた、というのは果してどういうことだったのでしょうか。


 それは、そのとき、ゲン担ぎの発想をした、ということではないでしょうか。


 たとえば、試合前にピザを2切れ、食べ残した日に、プロ野球選手であるみなさんが、試合でヒットを打ったとしますよ。すると翌日みなさんは、今日も「試合前にピザを頼んで、2切れ食べ残せば…」(試合前にピザを頼んで、2切れ食べ残せば、ヒットが打てるかもしれない)と、考えついたりするわけですね? あるいは、そうしなければ、逆に今日はヒットが打てないのではないかと心配になったりするわけですね?


 そのように、もつおさんも、悩みや不安でいっぱいになったそのとき、ゲン担ぎの発想をしたのではないかということですよ。プロ野球選手であるみなさんが、試合前に「ピザを頼んで2切れ食べ残せば…」と考えついたり、逆にそうしなければ今日はヒットが打てないんじゃないかと心配になったりするように、もつおさんも、「ベンチを触れば…」(ベンチを触れば大丈夫)と考えついたのではないか、って。もしくは、そうしなければ、大変なことになるかもしれないと心配になったりもしたのではないか、って。


 実際、英語にはゲン担ぎの表現で、knock on woodとかtouch on woodとかいうのがありますね。英辞郎on the webにはこう説明してあります。

災難よけに木製品をたたく、魔よけに木を触る、いつまでも運が続きますように、うまくいけば、嫌な目に逢いませんように、くわばらくわばら◆自慢話や調子のいいこと、幸運なことなどについて話した直後に、災いを避けるためのおまじないとして使われる表現。これを言う代わりに木でできているものをたたいてみせることもある。

URL:https://eow.alc.co.jp/search?q=knock+on+wood
最終アクセス日時:2021年5月2日17:00


 もつおさんは、悩みと不安でいっぱいになったそのとき、このknock on woodをしようと思い立ったと、ひょっとすると言えるのかもしれませんね。


 ちなみに、いったんゲン担ぎをはじめると、ゲン担ぎの種類がどんどん増えていって、どうにも止められなくなることがあるといったようなことを、野球選手が言っていたりします。いま見たような経緯で、ゲン担ぎをはじめた、もつおさんも、その後そうなっていったように、漫画の一部を読ませてもらった俺には、思われました。

 

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下の場面などを見て、そう思いました。

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2021年8月12日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/6)はこちら。


*もつおさんがお描きになったその漫画はこちら。


*そのなかの一部が現在、無料で読めます(全11話)。


*前回の記事(短編NO.38)はこちら。


*このシリーズ(全64回を予定)の記事一覧はこちら。

 

漫画に出てくる幻聴「神様の声に、触れ、食べるな、と命令される」を理解する(4/6)【統合失調症理解#17】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.39


◆「急に自分の考えではない思考が脳にボン!って入ってくる感じ」

 いま立てつづけに言ったことを簡単にまとめてみますよ。


 悩みと不安でいっぱいになって、居たたまれなくなったそのとき、もつおさんは、「ベンチを触れば…」(ベンチを触れば大丈夫だ)と考えついた(現実)。だけど、そのもつおさんには、自分が「ベンチを触れば…」と考えついたはずはないという「自信」があった。このように「現実自信とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように、俺には思われます。

  • A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう、訂正する。
  • B.その背反を解消するために、「現実のほうを、「自信」に合うよう、修正する


 では、もつおさんはそのとき、どちらの手をとったのか。


 もし選択肢A「自信のほうを訂正する」手をとっていたら、もつおさんは、そこで自分が「ベンチを触れば…」と考えついたことに驚き、思ってみなかった自分のあたらしい一面を認識することになったかもしれませんね。


 だけど、その場面で実際に、もつおさんがとったのは、後者Bの「現実のほうを修正する」手だった。自分が「ベンチを触れば…」と考えついたはずはないとするその自信に合うよう、もつおさんは、現実をこう解した。


 自分の考えではない「ベンチを触れば…」という思考が、急に頭のなかに入ってきた。「ベンチを触れば…」という誰かの声が聞こえてきたんだ、って。


 現にもつおさんは、先のインタビュー記事のなかで、そのときのことをこう解説していましたね。

 実際に声が音として聞こえていたわけではないのでなかなか表現しづらいのですが、イメージ的には急に自分の考えではない思考が脳にボン!って入ってくる感じでした。頭の中に漫画のセリフの吹き出しが入ってきて語りかけてくるような……。それがどんどん大きくなっていって私の正常な思考のスペースを奪っていかれたんだと思います。自分でも何言ってるのかわからないんですけど、恐らくこれが一番近いと思います…(ゴシック化と赤色化は引用者による)。

URL:https://ddnavi.com/interview/743585/a/
最終アクセス日時:2021年5月2日17:00


 いまの一連の推測を箇条書きにしてまとめるとこうなります。

  • ①悩みと不安でいっぱいになったそのとき、「ベンチを触れば…」(ベンチを触れば大丈夫だ)と考えついた(現実)。
  • ②自分が「ベンチを触れば…」と考えついたはずはないという「自信」があった(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解した。「『ベンチを触れば…』という誰かの声が聞こえてきた」(現実修正解釈


 そして、実際にベンチを「触ると一気にパニックは治ってスッキリし」た。「ベンチを触れば…」(ベンチを触れば大丈夫だ)と”声”が言うとおりに、ね? で、そのことから、もつおさんはその“声”の主を、神様と考えるようになった、ということなのかもしれませんね。






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2021年11月16日に文章を一部修正しました。


*今回の最初の記事(1/6)はこちら。


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漫画に出てくる幻聴「神様の声に、触れ、食べるな、と命令される」を理解する(3/6)【統合失調症理解#17】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.39


◆はじめて神様の声が聞こえたとき

 先のインタビュー記事によると、塾が終わったあと、お母さんが迎えに来るのを、もつおさんは公園で待っていた、ということでしたね。

母の迎えを待っている時に突然友達のこと、勉強のこと、家族のこと、当時の悩みや不安がブワッと一気に頭いっぱいに広がって苦しくなったのを覚えてます。何で急にそうなったのかは分からないのですが、パニックみたいになってしまって、とにかくこの苦しみから解放されたい!っと思った時にふと「ベンチを触れば…」という考えが頭に浮かびました。本当に意味がわからなかったんですがとにかく早く解放されたくてその考えに従いました。


 触ると一気にパニックは治ってスッキリしましたが、その後はなんだか気持ち悪かったです。変な考えも気持ち悪いしベンチを触って安心してる自分も気持ち悪いし……。


 今思えばこの日の1週間前ぐらいから寝不足が続いていてすごく疲れていた気がします。これがパニックを起こしたことと直接何か関係あるかはわからないですが。

URL:https://ddnavi.com/interview/743585/a/
最終アクセス日時:2021年5月2日17:00


 もつおさんは、「突然友達のこと、勉強のこと、家族のこと、当時の悩みや不安がブワッと一気に頭いっぱいに広がって苦しくな」った。そして「とにかくこの苦しみから解放されたい!っと思った時にふと『ベンチを触れば…』という考えが頭に浮か」んだ、とのことでしたね。


 実に、悩みと不安でいっぱいになって居たたまれなくなったそのときもつおさんはベンチを触れば…」(ベンチを触れば大丈夫だ、という意味でしょうか)と考えついた。だけど、もつおさんからすると、自分がそこで、「ベンチを触れば…」と考えついたりするはずはなかったのかもしれませんね。


 いや、いっそ、もつおさんのその見立てを、語弊があるかもしれませんけど、こう言い直してみましょうか。そのとき、もつおさんには、自分がベンチを触れば…」と考えついたはずはないという自信があったんだ、って。


 で、自分が「ベンチを触れば…」と考えついたはずはないとするその自信に合うよう、もつおさんは現実をこう解した。


 自分の考えではない「ベンチを触れば…」という思考が、急に頭のなかに入ってきた。「ベンチを触れば…」という誰かの声が聞こえてきたんだ、って。





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2021年8月12日に文章を一部訂正しました。


*今回の最初の記事(1/6)はこちら。


*もつおさんがお描きになったその漫画はこちら。


*そのなかの一部が現在、無料で読めます(全11話)。


*前回の記事(短編NO.38)はこちら。


*このシリーズ(全64回を予定)の記事一覧はこちら。

 

漫画に出てくる幻聴「神様の声に、触れ、食べるな、と命令される」を理解する(2/6)【統合失調症理解#17】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.39


 このインタビュー記事の冒頭にこう書かれていましたよね。

 ある平凡なひとりの女子高生が経験した凄絶な日々を描いたコミックエッセイ『高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで』(KADOKAWA)。著者のもつおさんは、ある日、唐突に不安や悩みが頭に広がり「触らなければいけない」という、まるで“自分のなかにいる神様”からの命令のようなものが浮かぶように。その命令は日を追うごとにエスカレートしていき、日常を支配していく。強迫性障害摂食障害、強制入院、退院後の揺り戻し…… 凄絶な経験から何を考え、どのように作品へと昇華させたのか、著者のもつおさんにお話をうかがいました。

URL:https://ddnavi.com/interview/743585/a/
最終アクセス日時:2021年5月2日17:00


 で、その紹介文のあと、もつおさんは当時の自分をこう評していましたね。

「THE 平凡!」って感じの高校生でした。真面目でもないし不良でもないし、どこにでもいる、ごくごく普通の高校生でした。つまらないですね(笑)普通にしてるつもりでもヘラヘラしてるように見えるみたいでよく周囲の人に「悩みとかなさそう」って言われてました。


 けど、もつおさんにも当然、悩みはあったわけです。どんな悩みだったか。

人間関係で悩むことがほとんどでした。当時は友達に嫌われることが何より怖かったので、学校では常に気を張っていました。家に帰っても「今日の私の行動は大丈夫だったかな?」とかばかり考えて。あとは体型のコンプレックスでも悩んでいて毎日のように鏡を見ては落ち込んでました……。


 鏡に写った自分の体型を見て、落ち込んでいたということですね。今回考察はしませんけど、もつおさんのこの漫画には、神様の声に「食べるな」と命令される場面が出てきます。当時、体型にコンプレックスを持っていたというこのことと、その神様からの「食べるな」という命令のあいだには、何か、関係がありそうな気がみなさん、しませんか?

 

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たとえば、ここですね。

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 さて、そんなもつおさんは、はじめて”神様の声を聞いた”ときのことを、つづいてこう語っていました。本題に入りましょう。今回は、この場面について考察します。





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*もつおさんがお描きになったその漫画はこちら。


*そのなかの一部が現在、無料で読めます(全11話)。


*前回の記事(短編NO.38)はこちら。


*このシリーズ(全64回を予定)の記事一覧はこちら。

 

漫画に出てくる幻聴「神様の声に、触れ、食べるな、と命令される」を理解する(1/6)【統合失調症理解#17】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.39

目次
・今回は、漫画家さんのインタビュー記事を読ませもらう
・はじめて神様の声が聞こえたとき
・「急に自分の考えではない思考が脳にボン!って入ってくる感じ」
・ゲン担ぎの発想をした


◆今回は、漫画家さんのインタビュー記事を読ませもらう

 この世に異常なひとなどただのひとりも存在し得ない、ということを、かつて論理的に証明しましたよね。

 

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その証明は下の記事でしました。

(注)もっと簡単に証明する回はこちら。

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 そしてそれはこの世に、「理解不可能なひとなど、ただのひとりも存在し得ないということを意味するとのことでしたね。


 だけど、医学は一部のひとたちを異常と判定し、「理解不可能」と決めつけて、差別してきました。


 たとえば、みなさんが、こう訴えたとしますよ。神様の声が聞こえる、って。神様がわたしに、ものに触れろとか、食べるなとか、しきりに言ってくる、って。


 すると、その訴えを聞いた(精神)医学は、それを幻聴という異常体験と診断し、「理解不可能」なものと決めつけます。


 で、その「理解不可能」な体験を、みなさんの脳のなかの一点がおかしくなって起こる現象であるということにします。


 でも、いまさっきいきなり再確認しましたように、論理的に考えるかぎり、みなさんのその体験は「理解不可能」なんかではあり得ません。実際、統合失調症と診断されたひとたちの、幻聴と決めつけられてきた事例をここまで複数見てきても、それらがどれも「理解不可能」なんかではないことが実地に確認できましたよね。

 

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その「実地」の確認の数々はこちら。

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 今回も、また、そうした実地の確認をしますよ。


 今回は、漫画「高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで」をお描きになった、もつおさんの次のインタビュー記事を読ませてもらいます。そのなかで語られている幻聴体験をひとつとり挙げます。







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2021年8月12日に文章を一部修正しました。


*もつおさんがお描きになったその漫画はこちら。


*そのなかの一部が現在、無料で読めます(全11話)。


*前回の記事(短編NO.38)はこちら。


*このシリーズ(全64回を予定)の記事一覧はこちら。

 

この世に異常なひとはただの一人も存在し得ないということについて

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 もうひとつのブログのほうの手短な近況報告をさせてもらって構いません?


 そちらのほうのブログで、今年に入ってから立てつづけに、記事を3本書きました。


 その1本目の記事でまず、医学が健康を正常であること病気を異常であることと独自に定義づけてきたことを、確認しました。


 そしてつぎの記事で、医学がそのように健康や病気を定義づけるのに用いてきた、正常異常という言葉の意味を確認しました。


 で、3本目の記事ですよ。


 正常、異常という言葉の意味を踏まえたうえで、その記事で、つぎのことを確認したわけです。


 この世に、異常なひとなどただのひとりも存在し得ない


 言うなれば、ひとはみな正常である。


 にもかかわらず、医学は一部のひとたちを不当にも異常であると決めつけ差別してきたんだ、って。


 そのことは特に精神医学という分野でよくわかるのかもしれない、と考えたりしています。

アスペルガー医師とナチス 発達障害の一つの起源

アスペルガー医師とナチス 発達障害の一つの起源

 
(了)

 

ひとのことを、やれ正常だ、やれ異常だ、とさんざ言ってきたけど、はて、そもそも、正常、異常ってどういう意味なんだっけ?

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 医学なるものに触れ、一番最初にひとが疑問に思うのは、「正常異常という言葉の意味は果して何なのだろう」ということではないでしょうか。


 だって、医学は、健康を正常であること病気を異常であることと独自に定義づけてやってきたじゃないですか。

 

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参考:その独自の定義についてはこちらで書きました。

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 だけど、正常、異常という、そんな大事な基礎的な言葉の意味を、みなさん、教わったことありますか。


 俺はありませんよ?


 たとえば、正常、異常ということについてひとが、こんなことを言うのは、よく耳にしますよ。


 正常と異常のあいだの線引きはむつかしい。どこからが正常で、どこからが異常なのかは正直よくわからない、って。


 要するに、こんな感じの言説です。

精神病者と精神的に健康な者の違いは、種類ではなく程度の問題である。正気と狂気の境目はあやふやである。大半の人はたまに軽い精神異常を起こすことがあるし、精神障害者も時には非常に「正常」である。精神分裂病者とうつ病者は社会でも有数の創造力と生産性を持つ可能性がある。精神病で今、能力を奪われている人が明日は回復し、十分な生産性を得て正常な暮らしを送ることも可能である。診断はあくまで主観的なものである。(ヒューG.ギャラファー『【新装版】ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』長瀬修訳、現代書館、2017年、p.67、1995年)。


 でも、正常、異常という区分けに厳しい検証の視線を注いでいるそうした言説に出くわしても、その言説の前にも後にも、正常、異常という言葉の意味を明らかにしようとしている部分を見つけることは、いまのいままで、できた試しが俺には一度もありません*1


 いやあ、これは一体どういうことなのでしょうね? もしかして、もしかすると、これはこういうことなのでしょうか。


 世の中のひとはみな、正常、異常という言葉の意味を実はよく知っている。ただ、その意味があまりにも当たり前すぎるあまり、わざわざ口にしないだけだ(えっ、そうだったの?)。


 あるいは、反対にこういうことである可能性はあるでしょうか。


 すなわち、みんな、正常、異常という言葉の意味をほんとうはよくわかっていないが、何となく勘で、ひとのことを正常と言ったり、異常と決めつけたりしてきたんだ(あちゃあ、なんという不誠実......)。


 真相はそのうちのどちらだと、みなさん、思います? それとも、真相はこれらふたつとはまったく別の何かだと考えますか?


 ともあれ、そんな、誰もが口をつぐんでなぜか語ろうとしない、正常異常という言葉の意味について先日下の記事で俺なりに考えてみました。正常、異常という言葉の意味はそも、何なのでしょうね。


 ちなみに、上記の記事より込み入った仕方で、正常、異常という言葉の意味について以前に考察した記事はこちらです。

(了)

 

 

*1:たとえば、下の記事も、正常、異常という区分けにたいし、非常に厳しい検証の視線を注いでいて、「あ、今度こそは」と、読んでいて、期待で胸が躍りましたが、残念なことに、刺激的なその文章内でも、正常、異常という言葉の意味を明らかにしようとしている部分に出くわすことはできませんでした(悪口を言っているのではありませんよ)。