(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

科学がやっているように身体を機械と見なすと、こんなふうに快さや苦しさの意味がまったくわからなくなって、もう頭が爆発しちゃいそうだ(2/4)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.8】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.54


 では、本題に入ります。いまから確認する、快さと苦しさについての前掲2の説では、科学は、感情(腹が立つとか哀しいとか楽しいとか可笑しいとか)を持ち出してきて、それを情動という名で呼び換え、行動前に「身体機械」に起こるウォーミングアップのことであると勝手に決めつけます。


 そして、そのウォーミングアップのあとに「身体機械」に起こるはずであると科学が信じる行動をふたつに分けます。好物への接近行動と、敵からの逃避行動とに。


 で、その行動の二分化に合わせて、情動(ウォーミングアップ)のほうも快情動不快情動とに分け、前者の快情動を、好物への接近行動まえに起こるウォーミングアップ、後者の不快情動を、敵からの逃避行動まえに起こるウォーミングアップということにそれぞれします。


 いま言ったことを簡単な式にまとめるとこうなります。

  • A.快情動:好物への接近行動まえに「身体機械」に起こるウォーミングアップ
  • B.不快情動:敵からの逃避行動まえに「身体機械」に起こるウォーミングアップ


 脳は、「身体機械」に快情動というウォーミングアップが起こっていれば、それについての情報をもとに、心のなかに快さという感覚を作りあげ、反対に不快情動というウォーミングアップが起こっていれば、それについての情報をもとに、心のなかに苦しさという感覚を作り出す、と考えるわけです。


 要するに、快さと苦しさを医学はこう解するということですよ。

  • A'.快さという感覚は、脳が心のなかに作り出した、「身体機械」に起こっている快情動というウォーミングアップがいかようかを(心に)知らせるサイン
  • B'.苦しさという感覚は、脳が心のなかに作り出した、「身体機械」に起こっている不快情動というウォーミングアップがいかようかを(心に)知らせるサイン


 さあ、どうですか、みなさん。みなさんは快さや苦しさをこんなふうに解して生きていくことはできますか。こうした解し方で、ふだんみなさんがその時々に感じる快さや苦しさを説明していくことはできそうですか。


 みなさんが快さや苦しさであると、これまで思って生きてきたものは、いまの説明でうまく表現されていると納得できましたか。


 むしろ反対に何か怖くなりませんでしたか。こんな解した方をしたのでは、誰でもわかる日常の当たり前の感情すら、何のことかさっぱりわからなくなってしまうのではないか、って。


 もちろん、いま見ている快さと苦しさについての説も誤りです。そもそも、身体を「身体機械」と見なす時点で誤りですし、感情(科学の言葉では情動)を、行動まえに身体に起こるウォーミングアップと解するのも何の根拠もない勝手な決めつけにすぎません。この説に何か適切なものがひとつでもあるのかすら怪しいと言わざるを得ないくらいですね。


 けど、一応、ひとつ具体例をあげて、この説がいかに的外れで、危険な思想であるか確認しておきますよ。






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