*認知症の人間の言動は理解不可能か・第16回
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これまでもっていた意欲や興味を突然失い、何も手に付かず、ぼーッと時間を過ごすことが多くなっていたとしても、夜中フラフラと起き出してきては冷蔵庫の中から食べ物をとり出し、むさぼり喰らう悦びを追求してはいなかったか。ひたすらひとを避け、部屋に閉じこもって打ちひしがれていたとしても、「バラード2018〜あの日のふたり」といったようなタイトルのプレイリストを繰り返し再生し、飽くことなくその甘い調べに耳を傾けてはいなかったか。
たしかにみなさんは、突然訪れた不幸に挫け、もてる意欲や興味の幾ばくかを失っていたが、それはあくまで部分的な喪失だったのではないか。
それとおなじことが血管性認知症にも言えるのではないかというわけである。
血管性認知症ではどちらかというと意欲や興味の減退は、脳卒中のもたらした困難な現実に落胆したことをきっかけに一気に起こる傾向が強いのではないかと推測したが、もしそうであれば、みなさんが突然恋人に振られたようなときに経験したのとおなじく、その意欲や興味の減退は限定的であることが多いと類推することができるのではないか。
当然、意欲や興味が保たれたままの対象については依然集中でき、それまで同様の「判断力、計算力、常識など」を示すことが可能性である。したがって、血管性認知症では「判断力、計算力、常識などが維持されていることが多く、『まだら認知症』といわれることがある」ということになる、というのがここで俺たちの示す推論である。
2025年12月22日に文章を一部修正しました。
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