*認知症の人間の言動は理解不可能か・第15回
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先に見た①「運動性失語(言葉が自由に出てこない)」とおなじで、話すことに対する意欲や興味は十分にあるように見受けられる。そうでなければ、「多弁」になったりはしないだろう(先の説明1に「感覚性失語の人は多弁、しゃべり倒してきます」とあったのを想起したい)。そのように、話すことに対する意欲や興味は十分にある。ところが、あるひとつのことの叙述を終えるまでそのことに集中していられない、ということではないだろうか。
で、文章の途中で別のことに気が向き、そのことについて話し出してしまうが、新たに話し始めたことについても、言い終わるまで集中が続かず、途中でまた別のことに話が移ってしまう。結果、発する単語一つひとつは意味が通るけれども、文章として見たときには支離滅裂ということになる。「ゴリラで時が話す」といた具合に、である。けれども、話すことへの意欲や興味は十分にあって多弁となり、意味の通らない文章が長々と続くことになる、ということではないだろうか。
ちなみにこういった支離滅裂な文章は、先ほど見た説明2によると「言葉のサラダ」と呼ばれ、統合失調症と診断されるひとたちにも時に見られるとのことだったけれども、それは、統合失調症と呼ばれる状態にあるひとたちが激しく動揺し、気が焦って落ち着いてものを考えたり言ったりする余裕がなくなっているとき、集中が続かず、言っている尻からどんどん別のことに言及が移っていくそうした言語現象が時に起こる、ということではないだろうか。
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*言葉のサラダとは?
*ちなみに統合失調症について考察したシリーズはこちら。
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さて、いま最初に感覚性失語の特徴(b)について考察した。ここから、残りの特徴3つを一気に見て終わりとしよう。
*このシリーズの記事一覧