*認知症の人間の言動は理解不可能か・第15回
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たとえば、みなさんは論点Aについて話し終えてから、次の論点であるBに言及するつもりで話していた。すると、論点Aについての言及がもうすぐ終わりそうなところで、気がはやったのか、ふとみなさんの頭に論点Bのことが予定よりも数秒早く閃き、みなさんの口は、閃いたその内容に釣られてしまって、論点Aの言及をまさに締めくくるために使おうとしていた最後の動詞の代わりに、論点Bの言及に用いることになっただろう動詞を一足先に使ってしまう。
こんなふうに、である。
みなさんは当初「昨日久しぶりに家族そろってのんびり鎌倉に行ってきたんですよ」と言おうとしていた。で、そのあと劇的な口調で、「そしたらびっくりしたんですけど、甲さんに二十年ぶり位に会ったんです!」と続けるつもりだったが、一つ目の文章をもう少しで言い終わりそうなところで、思っていたよりも一瞬早く甲さんの顔が脳裏に浮かび、こう言い間違えることになった。
「昨日久しぶりに家族そろってのんびり鎌倉に会ったんですよ」
あるいはこんな例はどうだろう。
何かを話しているとき不意に何かが視野に入り、あやまってその物の名が、そのとき口にしていた文章のなかに混じり込んでしまう。
「それで、コレ、そのとき鎌倉で買ったお土産なんですけど、駅前にある有名なワンちゃんのあッ、洋菓子屋さんのお菓子で……」
話している最中に陰からその家の多毛量の小犬が視界の中に入ってきて、つい口が釣られたわけである。
こうした日々の言い間違いで起こっているのは、何かについて話しているときにふと他事が頭に浮かんでしまうとか、何か視野に入ったものに気をとられてしまうとかして、それに口が釣られてしまうという現象である。
いま考察している感覚性失語の特徴(b)「なめらかに、リズムやイントネーションに問題なく話せるが、言い間違いが多かったり、言葉が『ゴリラで時が話す』といったように支離滅裂だったりする(書く場合も同じ)」で起こっているのも実はそういうことであるという可能性はないだろうか。
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