*認知症の人間の言動は理解不可能か・第14回
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さて運動性失語は、コレコレこうしたことを表現するときにはコレコレこういった声音(言葉)を使っていくという意思の衰弱・喪失現象ではないかと推測したけれども、その意思の衰弱・喪失現象が、アルツハイマー型認知症のように意欲や興味の減退に伴って漸次起こるのではなく、脳卒中をきっかけにいきなり起こるのではないか、というのがここでの見立てである。先に引用した運動性失語についての解説文を読んで、話すことへの意欲や興味が減退しているようにみなさんの目には映っただろうか。むしろ、たどたどしく喋る子供や、新たに習得しようとしている外国語での会話に四苦八苦する成人学習者のように、話すことへの意欲や興味を十二分にもっているように感じられたのではないだろうか。
ちなみに、実にそのとおり、話すことへの意欲や興味が損なわれていないのなら、こうした運動性失語は、うまく呂律が回らないだとか、うまく発音できない、うまく言葉が出てこない、うまく文章をつなげられないといった、自分の意図と実際にできることとの間の深い溝を痛感させられる、もどかしい体験となるだろう。
そして、血管性認知症のきっかけは脳卒中であり、手足の麻痺などを伴うと、先に引用した解説文にあったが、手足が、動かすときそのように麻痺する場合も、その四肢運動意図と実際にできることとの間の深淵を自覚させられることになる。そういう意味で、この運動性失語を言葉の麻痺と呼ぶことができるかもしれない。
以上、血管性認知症の①「運動性失語」を脳卒中によっていきなり起こる、意欲や興味の減退を伴わない意思の衰弱・喪失(麻痺)とする推論を展開した。次回は②「感覚性失語」について検証する。
2025年10月7日に文章の一部を修正しました。
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