(新)Nothing happens to me.

科学には、人間を理解することを妨げる理論的欠陥がある

アルツハイマー型認知症⑨:着替えができなくなったり、同居家族の顔がわからなくなったりする(失行と失認の)理由(4/4)

認知症の人間の言動は理解不可能か・第13回

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◆対象を認識できなくなる(失認)

 ではこの流れで、次の項目であるC(高度認知症)の①「対象を認識できなくなる(失認)」を考察しよう。その具体例として挙げられていたのは次のふたつである。

  • いっしょに暮らしている家族の顔がわからなくなる(相貌失認)。
  • 大小便の失禁、摂食障害・嚥下障害(食べたり、飲み込んだりが困難)が起こる。


 これらもちょうどいまB(中等度)の②「失行」で推測したのと同じ、「意思の衰弱・喪失」ではないだろうか。現在コレコレの風貌をしている目の前の誰々を自分の家族の一員と見ていく意思、それまでずっと毎秒持ち続けてきたその意思が、意欲と興味の減退が進行していった結果、弱り切り、ついには身に全く湧き出てこなくなった。それが、そのいつも見ている家族の「馴染み」の顔がもはや「見知らぬもの」と映る相貌失認ではないだろうか。


 ただし場合によっては、失認されたその家族は昔の、たとえば子供時代の姿形でそのひとに家族として認識されていることもあるだろう。そうした場合、その失認は、そのひとが時の流れにもはやついて行けなくなっていることを意味するとも言えるかもしれない。


 いっぽう大小便の失禁はどうか。大抵誰しも用はトイレで足そうとする。どんなに苦しくてもトイレに着くまで我慢しようと誰しもする。そうした誰にも「馴染み」の規範遵守意識が無くなり失禁するというのは、幼少の頃に身につけて以来もち続けてきた、用はトイレで足していくという当たり前の意思がもう身に湧き出てこなくなっていることを意味するのではないだろうか。


 また摂食障害と嚥下障害も、前者は食べ物を摂取していく意思が、後者は食べ物を噛み、飲み下していく意思がそれぞれ弱り切っているとか、もはや身に湧き出てこなくなっているとかした状態のことではないか。


 以上、冒頭で予告したようにアルツハイマー認知症の症状なるもののBの②「失行」とC(高度認知症)の①「失認」の考察を終え、ここにてアルツハイマー認知症に関する考察が完了した。


 次回から血管性認知症を見る。 






(→次回

 


アルツハイマー認知症の症状なるものについての考察一覧


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