*認知症の人間の言動は理解不可能か・第12回
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◆前半:トイレの場所がわからなくなる(解釈その2)
これまで繰り返し書いてきたように、アルツハイマー型認知症と呼ばれるのはこういう状態ではないかということだった。すなわち、それまでなら集中してすることができていた、料理とか言葉のやりとりといったことに、意欲や興味が減退していて集中できず、そうしたことを「上の空」でするようになっていることしばしばの状態ではないか、と。
そうした意欲と興味の減退が進んでいけば、料理や言葉のやりとりといったことにヨリ集中できなくなり、それらのことをするときの「上の空」の度合いは増していくものと予測できる。つまり、料理をしていく意思や、言葉を交わしていく意思はどんどん弱っていく。で、その意欲と興味の減退が更に進行していけば、ついにはその料理をしていく意思や、言葉を交わしていく意思はゼロに、つまり全く身に湧いてこなくなるのではないか、ということだった。
今回の「トイレの場所がわからなくなる」で起こっているのもそういうことである可能性はないか。
たとえば二階にある自室にいるとき、扉の向こうも床の下も勿論全然見えないけれども、みなさんはその扉の向こうに下へ降りる階段があること、またいまいる部屋の真下にみなさんの配偶者の寝室があることを把握している。その階段を降りるとどちらの方に玄関につながる通路が伸びているか、またそれとは反対方向に伸びる通路の奥にはトイレと浴室があることも、自室にいながらにしてみなさんは把握している。みなさんは二階にある、扉と壁と床と天井に囲まれた閉鎖空間にいながらもその部屋をただの閉鎖空間としてではなく、配偶者の寝室の真上にある、階下への階段につながった、トイレと浴室から一番離れた部屋と見ているわけである。
ところがちょうど先ほど言ったように、意欲と興味の減退が進行していき、ついにその部屋をそのように配偶者の寝室の真上にある、階下への階段につながった、トイレと浴室から一番遠い部屋として見ていく意思が全く身に湧き上がってこなくなったとしたら、どうか。
その二階の自室は、記憶を喪失したときに家族が赤の他人としか映らないのと同じように、もうただの見ず知らずの空間としか見えなくなるのでないか。
自室にいるみなさんはもう、トイレに行きたくなってもどう行けばいいかわからない。自室の外のことがまるで見当がつかない。初めてやって来たレストランや商業施設などでトイレに行きたくなったときのように、キョロキョロしながら家の中をトイレ求めて探索することになる。
果してこれが今回の「トイレの場所がわからなくなる」で起こっている現象である可能性はあるだろうか。
ついでに付け加えて言うと、そうした探求をしている間、ひょっとするとみなさんは「上の空」になり、一つ目に為した解釈で指摘したように、自分がどこを通ってきたか、またどの扉をこれまでに開けたか、ついいまさっこのことであっても、思い出せなくなって(物の道理1)、さらに右往左往することになる、ということもあるかもしれない 。
さてここまで、具体例ハの「トイレの場所がわからなくなって失禁する」の前半部分、「トイレの場所がわからなくなる」について、前回検証した具体例ロの場合同様、ふたつの解釈可能性を想定した。
次は後半部分の「失禁する」について考察する。