*認知症の人間の言動は理解不可能か・第11回
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現在、アルツハイマー型認知症の「自分のいる場所がわからなくなって道に迷う」について、馴染みの道が見知らぬものと見えるようになったということである可能性を探っている。
その道が馴染みのものに見えていたときみなさんはその道を、一つ目の角でケーキ屋のある通りと、また二つ目の角ではラーメン屋のある通りとにつながった、大きな国道に併走する「駅に出る道」と見ていたが、意欲と興味の減退が進行に進行を重ね、ついに、その道をそうした「駅に出る道」と見ていく意思が全く身に湧き出てこなくなり、その馴染みのものだった道が、初めて訪れた見知らぬ道としか映らなくなって迷うことになったのだと推測することはできないだろうか。
そのように馴染みだったものが見知らぬものと映るようになった他の事例として誰にでもすぐさま思いつくのは、先ほど一度触れたが、記憶喪失だろう。記憶喪失では、馴染みであるはずの家族も赤の他人に見えるようになる。そこで起こっているのも、目の前にいる家族を家族と見なしていく意思がわが身に湧いて出てこなくなったという現象であるとは考えられないだろうか。
以上今回は、アルツハイマー型認知症の症状一覧の中のB(中等度)の①「見当識が失われる(失見当)」の具体例のひとつとして挙げられていた三つのうちの二つ目、ロ「自分のいる場所がわからなくなって道に迷う」についてふたつの可能性を想定することになった。
ひとつ目の方では、「上の空」でしていたことはついいまさっきのことであっても、思い出すのは難しいという物の道理1と、「上の空」では事をし損じるという物の道理2のふたつを用いて、いかにして自分の居場所がわからなくなるか、また道を行き間違い、周囲の地理が思っていたのと合致しなくなって混乱することになるかを想像した。
いっぽう二つ目では、馴染みの道がもはや見知らぬものとしか見えなくなったという場合である可能性を仮定し、もしそうであればそれは、意欲と興味の減退が進行しきった結果、その道をたとえば、一つ目の角でケーキ屋にある通りにつながり、二つ目の角ではラーメン屋のある通りにつながる、大きな国道と併走する「駅に出る道」と見ていく意思が全く身に湧き出てこなくなったという現象でないかと推論した。
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