*認知症の人間の言動は理解不可能か・第11回
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◆意欲や興味の減退が進み、ついに意思が湧き上がってこなくなる
以上、先に復習した物の道理ふたつを用いて、アルツハイマー型認知症のロ「自分のいる場所がわからなくなって道に迷う」を検証してきたけれども、しかし、このロで起こっていることがそれらとはまた少し別の現象であるという可能性はないだろうか。
たとえば、「自分のいる場所がわからない」というのが、馴染みのものであるはずの道がもはや見知らぬものとしか見えなくなっているということ、すなわち、記憶喪失になったひとに家族がただの赤の他人としか見えないのと同じように、馴染みの道、馴染みの場所がもはや馴染みのものと認識できなくなっているということである可能性はないだろうか。
その可能性を、いままで何度も通ったことのある、自宅から最寄り駅までの馴染みの道が見知らぬものと見えるようになった場合を仮定して探ってみよう。
その道が馴染みのものと見えていたときには、それはたとえばみなさんにとって、真っ直ぐ行くと「駅に出る道」であり、一つ目の角を左に曲がれば、みなさんが時々訪れるケーキ屋のある通りが現れ、また二つ目の角を右折すれば、いつも行列が出来ているラーメン屋のある通りに入り、更にそこを奥に行くと、もとの「駅に出る道」に併走する大きな国道に出るそんな道だった。
その道はみなさんにとっていま言ったように、一つ目の角でケーキ屋のある通りと、また二つ目の角ではあのラーメン屋のある通りとにつながった、大きな国道に併走する「駅に出る道」だった。
その「駅に出る道」を車で走っているみなさんは、昨晩一夜漬けした知識を思い出すときのように頑張らなくても当たり前のように一つ目の角を自然に曲がってケーキ屋に向かっていくこともできたし、二つ目の角を右折して入っていったところにあるラーメン屋の横の駐車場の空き具合を頭の中に思い描いて心配することもできた。自宅のベッドの上に寝っ転がりながら、その「駅に出る道」の周辺一帯をくまなく自由自在に想像の中で歩き回ることも難なくできた。
ところが一転、そんな馴染みの道が、初めて通る見知らぬもののように見えるようになったとしたらどうか。
そのときはその道に来ても、まさか前方をずっと先に行ったところに駅があるとは想像もつかないし、ケーキ屋やラーメン屋と自分の現在位置との関係もわからない。前方にどんな可能性が転がっているか皆目見当がつかない。
みなさんは「自分のいる場所がわからなくなって道に迷う」わけである。
だが仮にそのように、アルツハイマー型認知症のロ「自分のいる場所がわからなくなって道に迷う」が、馴染みの道がもはや見知らぬものとし見えなくなったということであったとしても、なぜそんなことが起こり得るのか。