*認知症の人間の言動は理解不可能か・第10回
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このB(中等度)の①「見当識が失われる(失見当)」には具体例として次の3つが挙げられていた。
- イ.季節や時間の意識がなくなる
- ロ.自分のいる場所がわからなくなって道に迷う
- ハ.トイレの場所がわからなくなって失禁する
それらをいまからひとつずつ、ほんとうに「理解できる」か確認していく。
◆季節や時間の意識がなくなる
最初に点検するのは、イ「季節や時間の意識がなくなる」である。手近な例を用いて考えていこう。
みなさんは音楽をかけながら勉強や読書をしたことがあるだろうか。
おそらく大抵のひとはあるだろう。
そのとき勉強もくしは読書に没頭していたみなさんは或る瞬間ふと問題集または雑誌から顔を上げ、こう気付きはしなかったか。
いま、アルバム、もしくはプレイリスト(またはCD、カセット)のどのあたりまで曲が来ているか、まったくわからない、と。
みなさんは勉強もしくは読書に集中していて、鳴っている音楽にあまり注意を払っていなかった。で、どんな音楽が鳴っているか、いや、そもそも音楽が鳴っていることすら、何時からかわからなくなっていたわけである。
このように、注意を払うのを怠っていると、周囲の動向はいつしか不明になる。
いま確認しているのは極々当たり前のことである。
この「注意を払うのを怠っていると、周囲の動向はいつしか不明になる」ということを更に別の例でも確認してみよう。
みなさんは休日ずっと何かに没頭していて、「時間の感覚がなくなった」ことはないだろうか。没頭していたものからふと覚めて周りを見回してみると、もう夕方になっていてびっくりした、といったような経験をした覚えはないか。
あるいは学生の頃、夏休みなどの長期休暇中ずっと家にいてゲームをやったり、漫画を読んだり、勉強をしたり、YouTubeを見たりしながら日々を過ごしていて、いつの間にか「曜日の感覚が無くなってしまった」とか、「いまが何月何日かわからなくなってしまった」ことはかつてなかったか。
そのように四六時中家にいて何かに夢中になって時間を過ごしているうち、外の世界(世間とか、社会とか、環境とかと言い換えられるか)のことがいつしか不明になっていた、ということはないか。
いや、あるのではないか?
やはり、「注意を払うのを怠っていると、周囲の動向はいつしか不明になる」ものではないだろうか。