(新)Nothing happens to me.

科学には、人間を理解することを妨げる理論的欠陥がある

アルツハイマー型認知症⑤:事実とは異なることを話のなかに織り込む(作話の)理由(4/5)

認知症の人間の言動は理解不可能か・第9回

(※2025年7月4日、8月18日
に文章を修正しました)

3/5に戻る←)

 

 いま、「上の空」になっているときひとはおのずと思いを巡らせていたりするものではないかと言ったけれども、ではここで、先に引用した佐藤氏の文章の中の例を借用し、ひとつ仮定の話をしてみよう。亡くなったはずの「おじいさん」が困り顔で「金を至急返しに行かないといけない。ちょっと金を工面してくれるか」と頼み込んできた姿がふと目の前に思い浮かんだものとしよう。


 もちろんそれはあくまでもただの空想である。不意にそんな架空の場面が頭に浮かぶことは誰にでもある。ところが、アルツハイマー認知症のA(初期段階)の⑤「作話」ではそれがただの空想とは認められないのではないか、というのがいまから詳細を展開していく俺たちの推論である。


「上の空」になっているとき、亡くなった「おじいさん」が困り顔で「金を至急返しに行かないといけない。ちょっと金を工面してくれるか」と頼み込んできた姿がふと思い浮かんだ


 ところが、思い浮かべた当人からしてみると、そうした場面で自分がそんな姿を思い浮かべたりするはずはなかった。


 どういうことか。


 そのひとはそれまで、つまり意欲や興味が十分にあった頃にはそうした場面で「上の空」になることはなく、したがってそんな空想をしたりすることもなかった。で、当人は今になってもその頃と自分は変わりがないと信じ切っている。まさかそうした場面で自分がそんな空想をしたりするなどとは考えもつかない。


 当人は自身の身に起こっている未曾有の変化についていけていないわけである。


 そのひとは実際、亡くなった「おじいさん」が金の工面を頼み込んできた姿を思い浮かべた。それが「現実」である。しかし、意欲や興味が十分にあった頃と自分は変わっていないと思い込んでいるそのひとからしてみると、そうした場面で自分が「おじいさん」のそんな姿を思い浮かべたりなんかするはずはない。つまり、そのときそのひとには自信がある。「おじいさんのそんな姿を思い浮かべたりなんかしていない「自信」が。


 こうして、「おじいさん」の姿を思い浮かべたという「現実」と、そんな姿を思い浮かべたりなんかしていない「自信」とが背反する。そのように「現実」と「自信」とが背反するとき、ひとにとることのできる手はつぎの二つである。

  • A.その背反を解消するために「自信」のほうを「現実」に合うよう修正する。
  • .その背反を解消するために「現実」のほうを「自信」に合うよう修正する。


 そこでAをとれば何のことは無い。自分は「おじいさん」が金の工面を頼み込んできた姿を、意外なことに思い浮かべたのだと自覚して終わりである。


 では、Bの手をとったらどうか。


「おじいさん」のそんな姿を思い浮かべたりなんかしていない「自信」に合うよう、たとえばこう「現実を修正することになる。


「おじいさん」が実際に現れて、「金を至急返しに行かないといけない。ちょっと金を工面してくれるか」と困った様子で言い残して去った、と。


 となると、家族にこう言うことになるかもしれない。


「おじいさんが待っているから、お金を持って駆けつけないといけない!」


 すると家族から冷たい言葉が返ってくる。「おじいさんはもう亡くなったでしょ!」。家族や医者は言う。「事実のなかに嘘を混ぜ込んでいる! 脳が壊れたせいだ。アミロイドβが蓄積したせいだ!」



(→5/5へ