(新)Nothing happens to me.

科学には、人間を理解することを妨げる理論的欠陥がある

アルツハイマー型認知症⑤:事実とは異なることを話のなかに織り込む(作話の)理由(3/5)

認知症の人間の言動は理解不可能か・第9回

(※2025年7月4日に文章を修正しました)

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 ここでいまひとつ、日々「上の空」になっている場面でみなさんの身に何が起こっているか、思い起こしてみてほしい。


「上の空」で道を歩いているときみなさんは何も考えず、ただぼーっとしているだけかもしれない。が、ひとの話を「上の空」で聞いているときのみなさんは、他事に気をとられているかもしれない。テレビに気をとられたり、周囲の喧騒や仕事の失敗などに気をとられたりしているかもしれない。あるいは、借金や子供の学園生活のことに気をとられながら、みなさんは料理を「上の空」で作っているかもしれない。


 物思いに耽っているということもあるだろう。「上の空」と言ったとき真っ先に俺の頭に思い浮かぶのは、プロ野球中継でしばしばとらえられる、その日の仕事を終えたあとの先発投手がベンチに座り、焦点の合わない目を見開いたままぼーっとしている姿である。プロ野球ファンなら恐らく何度も出くわしたことがあるに違いないあの、長いあいだ瞬きひとつしないでどこも見ていない表情である。


 あれは物思いに耽っているのではないだろうか。その日の投球をふり返ったり、その後呑みに繰り出すときのことをあれこれ思い描いたりしているのではないか。


 夢を見ているということもあるだろう。授業中や会議中にウトウトしているときのみなさんはどうか。話を聞こうと努めているのにもかかわらずおのずと気が遠くなっていくあのとき、いつの間にかみなさんは夢を見ているというか、つかみどころの無い非論理的な想念を次から次へと着想したりしているのではないだろうか。


 また傷心したり、不愉快な目にあったりして重い気持ちで「上の空」になっているとき、急に不愉快な過去の場面なり、耐えがたい想念なりが思い浮かんできたことがみなさんには過去あったかもしれない。


 このように「上の空」になっているとき、みなさんはおのずと「思いを巡らせて」いたりすることがしばしばあるのではないか。


 しかし、先のアルツハイマー認知症の症状一覧の中に入っていてしかるべきであるにもかかわらず見当たらないと言ったものはこの「思いを巡らす」という思惟活動のことではない。


 話にはまだ先がある。






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*2026年1月21日に文章を一部修正しました。