*認知症の人間の言動は理解不可能か・第8回
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この論理操作を箇条書きにしてふり返るとこうなる。
- ①実際は財布をどこかに置き忘れた(現実)。
- ②財布を無くしてしまうようなことをしていない「自信」がある(現実と背反している自信)。
- ③その「自信」に合うよう「現実」を解釈する。「財布を無くすようなことはしていない。なのに見つからないということは、財布のある部屋のことをよく知っている人間に盗まれたに違いない」(現実修正解釈)
こういった論理操作は誰もが日々、頻度と程度は異なるだろうけれども、内心しているものである。みなさんもよく自分自身を振り返ってみてほしい。また、ひとの思考を「妄想」だなんだと決めつけてきた医学も毎日、全国各地の精神科の診察室のなかでそうした論理操作を繰り返している*。ここではそのことについて詳説しないが、ひと言だけ触れると、たとえば誰かを統合失調症と診断することは、そうした現実修正解釈をすることに他ならない。
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そんな実は誰もが日々している「現実修正解釈」が、いま考察中のA(初期段階)の④「物盗られ妄想」の正体ではないか、というわけである。
そう推測するのにはこんな理由がある。
アルツハイマー型認知症のA(初期段階)の①から④を見てきて、それらはこういう状態のことではないか、ということだった。すなわち、それまでなら集中してできていただろうことに、意欲や興味が減退していて集中できず、「上の空」でそうしたことをしていることしばしばの状態ではないか、と。
では、そのように日常生活のいろんな場面で物事を「上の空」でするようになっているひとが、財布などの貴重品をどこかに置いたときも「上の空」だったとしたら、どうか。
その場合、「上の空」でしていたことはついいまさっきのことでも、思い出すのは難しいという何度もくり返し言及している理どおり、そのひとが貴重品をそこに置いたことを全く思い出すことがないということが起こりうる。で、実際そうなれば、貴重品を無くすようなことをしていない「自信」をもつのはむしろ自然であり、その「自信」に合うよう「現実」を修正する(現実修正解釈をする)ことになっても何の不思議もないということになる。
以上、アルツハイマー型認知症のA(初期段階)の④「物盗られ妄想」は、医学に力強く「理解不可能」と断定されてきたの反し、「理解可能」なものであるように思われる。
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