*認知症の人間の言動は理解不可能か・第6回
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誰しも、「上の空」になっていて事をし損じたという体験をしたことがあるに違いない。それらを思い返してみてほしい。
何をするにせよ、要求される集中力の度合いに差はあるだろうけれども、それが、聴衆を前にしたスピーチであれ、家族や友人とのたわいのない会話であれ、面接であれ、テストであれ、料理であれ、何かの演奏であれ、文章を書くことであれ、演技であれ、スポーツであれ、テレビゲームであれ、遊びであれ、読書であれ、音楽鑑賞であれ、ドラマ観賞であれ、買い物であれ、散歩であれ、何であれ、「上の空」ですると往々にして、し損じることになるものではないだろうか。
たとえば面接で、もしくは大勢のひとたちを前にしたスピーチであがってしまって「上の空」になった、ということはないだろうか。もしあったとしてそのとき、言葉が出てきにくかったり、思ってもみない言葉が口から出てきてしまったり、もしくは頭が真っ白になって何を言おうとしていたか忘れてしまったりして、まともに喋れなかった、ということはないだろうか。
あるいは、自分が好意を寄せているひとや、尊敬しているひと、または応援しているひとを前にして夢見心地になって、ぼーっとしてしまい(つまり上の空になってしまい)、いざ話そうとするとしどろもどろになって、「えっと……」「あのー」「えー、あのぅ、あれ、そのあれが……」といったふうに言葉に詰まったり、話し方が千鳥足になったりした思い出がいま、脂汗を伴ってみなさんのもとに甦ってきたりしてはいないだろうか。
朝などの起きぬけにぼーっとしていて、言葉に詰まるわ、言葉が見つからないわ、で、家族とうまく喋れなかった、というような経験はどうだろう。
混み合った電車のホーム上やカフェの喧騒のなかで、周囲の物音やひとの行き来に気をとられ、相手との会話に「上の空」になってしまったときのみなさんの喋り方はどんな感じか。「あ、えっ」「あれ」「えっと、その」などを連発していないだろうか。
もしくは、話すこと以外の作業、たとえば料理やテレビゲーム、テスト、宿題、読書などを「上の空」でしていて、全然うまくやれなかったり、突飛なことをしでかしたりしてしまったりしたという記憶はないか。
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*2025年5月6日に文章を一部修正しました。