(新)Nothing happens to me.

科学には、人間を理解することを妨げる理論的欠陥がある

なぜ認知症と診断されて自尊心が傷つくのか(3/3)

認知症の人間の言動は理解不可能か・第2回

2/3に戻る←)


◆認知能力を異常と判定することの意味

 だとすると、認知症とか軽度認知障害といったようにひとをその認知能力の低下具合から「異常」と判定するとは何をどうすることなのか。


 誰しもひとというものに対してイメージをもっている。「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージを、いわゆる頭のなかに。で、特定の誰かに接したとき、俺たちはそのひとのありようと、俺たちの頭のなかにあるそのイメージとを比較する。そしてその特定のひとのありようが、こちらの頭のなかにあるそうしたイメージに合致していると思われれば、その合致していることをもってそのひとを問題無しと考える。


 それがそのひとを「正常」と判定するということである。


 いっぽうそのひとのありようが、こちらの頭のなかにある「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと思われれば、その合致していないことをもってそのひとを問題有りと考える。


 それがひとを「異常」と判定するということである。


 さていま、ひとを「異常」と判定することの意味を確認した。ではその「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、そのひとというもののイメージから外れていることをもって問題有りと考える、というのは何だろうか?


 それはまさしく、そのひとを「人でなし」と認定するということではないか。


 当然、誰かのことを「人でなし」と呼ぶことはれっきとした差別である。許されることではないし、現にそれは使用禁止用語だろう。けれども、ひとを「異常」と判定することがそのひとを「人でなし」と見なすことであるというのは、いま論理的に確認した限り、紛れもない事実である。


 ひとを認知症とか軽度認知障害と診断するのは、そのひとを認知能力の低下具合から「異常」と判定することであって、認知能力という人間の根幹部分のありようからそうして「人でなし」と認定されれば、誰だって自尊心が傷ついて何の不思議もないだろう(傷つかないひともたくさんいるだろうけれども)。


 だが、こう反論するひとがきっといるに違いない。


「いや、でも実際、認知症なんだろ? なら自尊心が傷ついても我慢するしかないじゃないか! わがままな文句ばっかり言うな!」


 だが、ほんとうにそれはわがままな文句か?


 次回、そうでは決してないことを確認する。





(→次回

 

 

*このシリーズの記事一覧