(新)Nothing happens to me.

科学には、人間を理解することを妨げる理論的欠陥がある

なぜ認知症と診断されて自尊心が傷つくのか(2/3)

認知症の人間の言動は理解不可能か・第2回

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 しかし具体例を示さないと話がピンとこないかもしれない。そこでひとつ、佐藤眞一さんの著書『認知症「不可解な行動」には理由がある』(ソフトバンク新書、2012年)から、当該著者が見聞きしてきた実例をもとに造形してくれた一場面を借りることにしよう。

 

 Aさん(75歳)は専業主婦で、歩行困難で「要介護I」の夫(81歳)と、娘夫婦と同居しています。娘(50歳)もその夫(52歳)も会社員で、子どもはいません。


 Aさんが同じことを繰り返し言うようになったのは、3年ほど前からでした。「乾電池を買ってきてくれた?」とか、「おばさんに喜寿のお祝いを贈ってくれた?」とか、「郵便受けを直してくれた?」などと、とっくにやったことを何度も尋ねるのです。あるいは、いただきものお菓子がおいしかったことや、散歩に連れて行った飼い犬をほめられたことなどを、まるで初めてそれを言うように、嬉々として何度も話します。


 初めのうちは娘も「そうね」とか、「やっておいたわよ」などと適当に相づちを打っていましたが、だんだんこのようなことが頻繁に起こるようになったので、つい「また同じことを言って!」とか、「やったって言ったじゃないの、何度も同じことを言わないでよ!」と声を荒げてしまうことがたびたびに。


 しかし、娘はしだいに「もしかしたら認知症ではないだろうか?」と心配になり、注意して様子を見ていると、Aさんは1週間前にもやってきた弟夫婦に「久しぶりね」と言ってみたり、練りわさびばかり何本も買い込んでいたりすることに気がつきました。「どうして、練りわさびばかり何本も買っているの?」と尋ねると、「え、そう?」という返事。自分が何本も練りわさびを買ってきていること自体を覚えていないようです。


 さらに、娘が銀行からおろしてきた家計費をAさんに渡し、いつもの引き出しにしまっておくように言っておいたところ、引き出しにお金が入っていないという事件も起こりました。「どこへやったの? なくしちゃったんじゃないでしょうね!」と、怒りながら家中を探すと、なぜか台所の食器棚の中にお金がありました。


 このほかにも、新聞の購買契約を何紙もしてしまったり、薬を飲む時間や、夫をデイサービスに行かせる日を忘れていたり……等々のことがあり、娘がつい怒ると、夫もいっしょになって「また忘れたのか!」などと言うために、夫婦喧嘩になることもあります。「お母さん、認知症なのかな」と娘が言ったときは、「そんなにボケてないわよ」と笑っていたAさんですが、娘に怒られた後などは、真剣な顔をして黙り込んでいることがあります。そんなときは、娘が「どうしたの?」と尋ねても、「何でもないわよ」と言うだけで、何を考えていたか話すことはありません。


「やはり認知症なのでないか。もしかしたら、母も自分自身のことを心配しているのかもしれない」と思った娘が、デイサービスの職員に相談したところ、市内の病院の物忘れ外来を受診することを勧められました。そこで、「健康診断」だと言ってAさんを連れて行き、検査をしてもらいました。問診、血液検査、MRIなどに加えて、WMS−Rという記憶検査と、MMSEという認知症検査も行われ、結果は「認知症ではないが、MCI、すなわち軽度認知障害である」というものでした。


 記憶検査と認知症検査が自分でも思っていた以上によくできたらしく、「頭のテストは大丈夫だったわね」と喜んでいたAさんですが、「軽度認知障害」という言葉を聞いたとたん、さっと顔色が変わりました。そして、医師が「MCIと診断されたからといって全員が認知症になるわけでありません」と説明しても、表情は硬いまま。その後はふさぎ込むことが多くなり、好きだった人形作りもしなくなってしまいました。このままではよけい症状が進行してしまうのではないかと、娘は気が気でありませんが、どうしたらよいかわからず、娘自身も気が滅入るようになってしまいました(同書、22-28頁)。


 例を見せてもらってぐんと想像しやすくなったのではないだろうか。


 Aさんは軽度認知障害と診断されて落ち込んだということである。それは自尊心が傷つけられたということではなかったか? 生きる意欲を失うほどに?


 違うだろうか?


 本人はその「頭のテスト」とやらで自分がどの程度できたか、だいたいわかっていた。「記憶検査と認知症検査が自分でも思っていた以上によくできたらしく」とある。で、その出来に満足していた。ところが軽度認知障害とランク付けされ、一気に自尊心が傷ついた。それは、テストの点数が80点だったことを喜んでいた学生が、Cとランクづけされた途端に傷つくのとおなじようなことではないか?


 Aさんは、診断という名のランク付けをされた。認知能力の低下具合から異常と判定された。それがAさんの自尊心を傷つけたのではないか。





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