*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.56
◆その問いには、どう解いているかの他に、どれだけ解けているかという程度問題がある
さあ、このように、みなさんが生きているあいだどの瞬間でもつねに身をもって解いている問いを言い換えると、いままで見えていなかったものが急に姿を表してきます。
「今どうしようとするか」というこの問いには、身をもってどう解いているかの他に、どれだけ解決しているかという、程度問題があることにも気づかされることになる、というわけです。
どう解いているかは、先に指摘しました行動のことですね。では、いま急に視界に入ってきた、どれだけ解決しているかという程度問題のほうは何かというと、それこそ快さと苦しさのことだということです。
快さや苦しさというのは、「今どうしようとするか」という問いが、今この瞬間にどの程度、解決しているか、その度合いのことなんだ、って。
快さを感じているとは、「今どうしようとするか」という問いを、その問いに身をもって答えることによって、解決している度合いが、大きいということである。
すなわち、冒頭でいきなり書きましたように、快さを感じているというのは、「今どうしようとするか、かなりハッキリしている」ということである。
かたや苦しさを感じているとは、「今どうしようとするか」というその問いを、その問いに身をもって答えることによって、解決している度合いが、小さいということである。
すなわち、苦しさを感じているというのは、「今どうしようとするか、あまりハッキリしていない」ということである、って。
ここまで、快さとは何か、苦しさとは何かを、またとはない簡単な言葉でざっと確認してきました。確認してみると、ひどく当たり前のことばかりだったような気がしますね。みなさんが熟知していることばっかりだったのではないでしょうか。でも、その簡単で当たり前なことが、学問の世界(科学も含む)ではまともに理解されてこなかったし、これからも、身体を機械と見る限り、永遠に理解されることはないということです。
【参考】快さや苦しさを配慮にいれるとはどうすることか、具体的に下の記事で考察してみました。
*今回の最初の記事(1/5)はこちら。
*前回の短編(短編NO.54)はこちら。
*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。