*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.55
◆今という一瞬を、目的に向かっている瞬間と見る
ところで、さっき最初にみなさんにこう質問しましたよね。いまこの瞬間のみなさんの状態を俺に教えてくれませんか、って。すると、みなさんは「〜している」とか「〜中」といった表現を用いて答えてくれるということでした。そのことから、いまひとつの見解に到達したわけですけど、でも、その質問にそうした表現とはまた別の言い方で答えようとしたひともいたかもしれません。
つまり、「寝そべりながらスマホを見ている」とか「休息中」と答える代わりに、「お風呂に入ろうとしている」と言おうとしたひとや、「電車に乗っている」とか「移動中」と答える代わりに「家に帰ろうとしている」と表現しようとしたひと、あるいは「酒を飲んでいる」や「晩酌中」の代わりに、「(いまから)寝ようとしている」と答えようとしたひともいたかもしれませんね。
そのように、未来の目的に「〜しようとしている」という言葉をくっつけた言い方をしようとしたひとも、ね?
「〜している」「〜中」という表現は、「〜しようとしている」という言い方に替えることもできるということですよ。
で、これもまた、いまこの瞬間のみなさんの状態に限った話ではありませんね。みなさんが、過去のある瞬間の状態について答えるときにも言えることだし、みなさんが、未来のある瞬間の状態と想像するところについて答えるときにも、言えることですね。みなさんの過去や未来の瞬間の状態にも「〜しようしている」という表現が代替できるということですね。
でも、これはいったい何を意味するか。
それは、こういうことを意味するのではありませんか。すなわち、みなさんの、過去、現在、未来のどの瞬間の状態も、何か目的に向かっている一瞬としても表現できる、って。
要するにこういうことです。
最初にこういうことを確認しましたよね。みなさんの、過去、現在、未来のどの瞬間の状態も、「〜している」「〜中」という言い方で表現できる。みなさんの過去、現在、未来のどの瞬間の状態も、何か出来事の最中と見ることができる、って。でも、それと同時に、それらの瞬間を、何か目的に向かっている一瞬と見ることもできる、ということですよ。
そうしたふたつの見方がみなさんのどの瞬間の状態にもできるというこのことを踏まえて、あらたに考えてみましょうか。まえのほうで、キザったらしく、こう言いました。
みなさんは生きているあいだ、どの瞬間でもつねに、「今という一瞬を・どういった出来事の最中にするか」という問いに身をもって答えている、って。
それらは、ちょうどいま確認したばかりの、見方の転換をすると、つぎのように言い換えられるのではありませんか?
みなさんは生きているあいだ、どの瞬間でもつねに、「今・どうしようとするか」という問いに身をもって答えているんだ、って(ただしここで言う「今」は一瞬を指しています)。
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