(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

科学には全然理解できない快いとか苦しいとかいうことの意味を簡単に確認してみよう(3/5)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.9】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.55


◆今という一瞬を、出来事の最中と見る

 さて、こうみなさんに質問してみることからはじめましょう。


 いまこの瞬間のみなさんの状態を俺に教えてくれませんか、って。


 すると、その問いにみなさんは、こんなふうに答えてくれるのではないでしょうか。


「寝そべりながらスマホを見ている」とか「電車に乗っている」とか「酒を飲んでいる」といったふうに。


 もしくは、そうした「〜している」といった表現の代わりに、「休息中」とか「移動中」とか「晩酌中」という、「〜」を使った言い方で答えてくれるひともいるかもしれませんね。


 みなさんは、いまこの瞬間のみなさんの状態を表現するのに、「〜している」とか「〜中」といった表現を使うのではないかということでした。


 でも、何もこれはいまこの瞬間のことに限ったことではありませんね。みなさんが、過去のある瞬間のみなさんの状態を俺に知らせてくれるときも、事はおなじではありませんか。


 あるいは、未来のある一瞬のみなさんの状態とみなさんが予想するところを俺に知らせてくれるときも、みなさんは、「〜している」とか「〜中」という表現を用いて答えてくれるのではありませんか。


 ではこのことは何を意味しているか。


 つまり、みなさんの、過去、現在、未来のどの瞬間の状態も、「〜している(過去の場合は、していた)」もしくは「〜中」といった表現で言い表せるというこのことは?


 それはこういうことを意味するのではありませんか? みなさんの、過去、現在、未来のどの瞬間も何か出来事の最中である、って。


 すなわち、みなさんは、過去、現在、未来のどの瞬間でも、「今という一瞬を何かの出来事の最中にしている」んだ、って。


 いまみなさんが俺に教えてくれた「寝そべりながらスマホを見ている」も「電車に乗っている」も「酒を飲んでいる」も、はたまた「休息中」も「帰宅中」も「晩酌中」も、「今という一瞬を、何かの出来事の最中にしている」ということではありませんか。


 そのことをひねって、キザったらしく言えば、こうなります。


 みなさんは生きているあいだ、どの瞬間でもつねに、「今という一瞬をどういった出来事の最中とするか」という問いに、身をもって答えている、って。


 まさに、その問いに身をもって答えることこそ、行動という名で呼ばれてきたものなんだ、って。


 いま、みなさんのある瞬間の状態を教えてもらうことを通して、こういうことがわかりました。みなさんは何時如何なるときも、「今という一瞬を、どういった出来事の最中とするか」という問いに身をもって答えている。そしてその問いに、身をもって答えることが行動という名で呼ばれてきたんだ、って。






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